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そんな日のアーカイブ 7 2003年の先生 今橋映子

1961年東京港区に生まれた今橋さんは、2003に東京大学大学院の助教授だった。総合文化研究科の超域文化科学専攻で比較文学比較文化の講座を持たれていた。

ヒューと口笛ふいてしまいそうな肩書きなのだか白いスーツをきちんと着こなして舞台に現れたボブカットのご婦人はそういう堅苦しさとは無縁のようにのびのびとしていて、育ちのよい利発そうなお嬢様風に見えた。ハキハキとしてよく通る声で語られた講座は「佐伯祐三―パリと東京―」というテーマであった。

今橋さんは「パリ・貧困と街路の詩学」「の世紀」「異都憧憬 日本人のパリ」という本を書いた人でもある。その本の書評に「精緻な分析と力強い情熱」とあった。まことにそのように今橋さんは佐伯について、知の情熱がこちらにまでひた寄せてくるように語られたのだった。
かといってその言葉は決して空回りすることはなかった。整然と、素人にもわかる次元で論を組み立ててあった。ほんとうに頭のよいひとなのだなと思った。

さて、佐伯祐三についてもわたしは無知であった。その絵はどこかで目にしたことはあったが
その人生がどんなふうであったかという背景についての知識を少しも持ち合わせていなかった。この年になっていよいよ自分の無知を思い知らされる。そんなわたしはなにを聞いても
「へぇー、そうかあ。そうなのかあ」と頷くしかない。

1898年大阪に生まれる。
1918年東京美術学校(今の芸大)に入学。
1923年パリへ向かう。
1924年東京に戻り下落合に住まう。
1927年再びパリに向かう。
1928年結核でパリの病院にて客死。

たった30年の劇的な人生である。今橋さんは佐伯の人生は劇的に語られ過ぎているのではないかという。

佐伯はユトリロの絵を見て、パリの街の画家になろうとし哀愁を帯びた激しい絵を描き始めた。それゆえ佐伯は日本のユトリロと呼ばれ1920年代のエコール・ド・パリの時代の画家だと言われている。

ここで今橋さんは「そうだろうか?」と疑問を持つ。疑問もち、仮説をたてて論証していく。その筋道が美しい。

本当なのか? そのウラは取れてるのか?1920年代のパリの華やかさで目くらましされて彼自身の作品が置き去りにされているのではないか? 

今橋さんは問う。
「分類してみて、佐伯は何の画家なのか。いったいなにを描いてきたのか?」

そして、こう推論する。
「佐伯は1927年に他界しているが
実は1930年代の感性をもっっている画家ではないのか」

以下今橋さんの論が展開していく。

佐伯の絵の鍵となるテーマは「壁」と「郊外」である。パリで佐伯はどこに住んだのかというと華やかなモンパルナス通りの一歩裏側に住んだ。14,15区のあたりである。そこで佐伯は古い家や壁を書き続けた。壁の落書きの塗りなおしたようなところまで含め濃密に詳細に街を写し取った。

そこで佐伯は壁の物質感、壁に相対することの面白さに気づいた。佐伯の作品には季節感はない。空や地面の色を出さないのだ。物質感そのものを出す表現にこだわった。印象派に見られる光の移ろいの微妙は表情に興味はなく、マチエールそのものを扱おうとしていたのかわかる。

やはり、佐伯は30年代の感性の画家であると今橋さんは思うのである。1929年に世界大恐慌があり、33年にナチスが台頭する。第2次世界大戦への助走のような時代にそれまでパリにいた多くのアメリカ人や日本人が帰国した。芸術家たちはアメリカに亡命した。

1930年代にパリには何もなくなってしまうが
そこで写真家たちがよい仕事をした。名所旧跡ではなく14,15区のパリの壁や公園、浮浪者たちや広告を取ったのである。佐伯は、そんな写真家たちの先駆者であるかのように自分の描くべきものはここ、つまり14,15区にあると思い、カメラアイでもって、写真的な感性で描いたのだった。

さて、ここで東京が現れる。なにしろ今回は「東京をめぐる物語」というのが大テーマであるのだからパリだけでは収集がつかない。今橋さんの言葉は整然と続く。

1924年4月に帰国した佐伯は東京下落合で集中的に東京を描いた。電信柱、風、駅のガード下、郊外の道などを。

やがて佐伯はこう言い放ち、パリへ戻る。
「もうこんなところでは描いていられない。
石の壁のない、ぺらぺらした(つかみどころのない)風景なんて」

そこでまた、今橋さんはほんとにそうだろうかと疑問を持つ。作家の言った通りに作品を読まなくてもよいし作者が作品の唯一の所有者ではない、と今橋さんは言い切る。

佐伯の描いた絵の中の東京もけっこうおもしろいのではないか。佐伯はパリは自分を見守る憧れの都、到達点であると思い込んでいた。東京をそのパリと対比的に考えていただけのではないか。それよりも、郊外というトポスこそが大事なのではないか。

城壁都市パリの郊外は、1920年後半から30年代、殺伐とした団地群がひろがる荒廃した場末の町であり、麻薬犯罪などが多く、そこで生れ落ちた者は波乱の人生を送ると言われる悲惨な場所だった。

日本人でパリにおいて郊外に目を向けたひとはほとんどいなかったが、佐伯は郊外の絵を何枚も描いている。細部へ、辺境へ向かっていく精神が佐伯の真髄である。

その感情で佐伯は下落合を描いた。東京郊外の面白さをカメラアイでキャッチしている。それはパリの14、15区で描いたものと同じ、風景にならない風景を描こうという試みだった。

作品そのものに向かい合うことによってわかることがある。都市そのものを見つめる目というもの、その都市の未来までを予感していることを佐伯の作品が教えてくれている。

佐伯はアバンギャルドである。他のひとが見向きもしない場所を渾身の力を込め実験的な技法で進んでいこうとする佐伯の絵に一点として同じものはない。そのことからも短い人生を駆け抜けたと実感できる。

そうして壮大な今橋さんの講義は終わった。佐伯のこともさることながら、学問することのおもしろさを教わったように思う。優れた学者さんは探偵のように思えてくる。「はたして、ほんとうにそうだろうか」がキーワードである。


あたしも小首をかしげて、小声でそう呟いてみる。そんなふうに問いかけ、真摯に答えを捜し求めることの積み重ねが生きることの厚みをますように思えた。お手軽に生きちゃいかんな、と思ったのであった。

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Wikipediaより


今橋 映子(いまはし えいこ、1961年10月9日 - )は、日本の比較文化学者。東京大学教授。東京都港区生まれ[1]。
パリをめぐる多様な芸術的表象を読み解く著作で知られる。近年は写真評論に力を入れている。

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2003年7/28〜8/2まで、東京・有楽町よみうりホールで開かれた日本近代文学館主催の公開講座「第40回夏の文学教室」に参加し「『東京』をめぐる物語」というテーマで、18人の名高い講師の語りを聞きました。

関礼子・古井由吉・高橋源一郎
佐藤忠男・久世光彦・逢坂剛
半藤一利・今橋映子・島田雅彦
長部日出男・ねじめ正一・伊集院静
浅田次郎・堀江敏幸・藤田宣永
藤原伊織・川本三郎・荒川洋治

という豪華キャスト!であります。

そして17年が経つともはや鬼籍に入られたかたもおられ、懐かしさと寂しさが交錯します。

その会場での記憶をあたしなりのアーカイブとして残しておきます。


読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️