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そんな日のアーカイブ 8 2003年の作家 ねじめ正一

第101回の直木賞作家であるねじめ正一さんは本名もねじめしょういちさんだが「祢寝正一」という字を書くそうだ。へー、そんな字なんだあ、と驚く。どうもそうとは読めない字だ。そうか、「ひらがな」書きの苗字は、決して奇をてらったものではなく、煩雑さを避けた一種のご親切だったんだなあと気づく。

ワイドショウなどのコメンテーターとしてお見かけする時はいつも「燃えよドラゴン」の敵ボスのようなお洋服をお召しだったが、やっぱり、その日も詰襟風のお洋服でねじめさんは現れ、リスのような前歯を見せて「街に生きる」というテーマで話されたのであった。

今現在、「阿佐ヶ谷」にねじめさんの民芸品店はある。そこそこに食えて、そこそこやっていってるのだそうだ。詩人であり直木賞作家でありながら、商店街のおやじの目で街を見ているねじめさんが漫画家西岸良平さんの描く『三丁目の夕日』のような昭和30年代の思い出を語り始めた。

「高円寺の北口銀座商店街に生まれました。小学校4年生のころから家業の乾物屋の店番をしてましたよ。『いらっしゃい』という言葉が好きだったな。とはいえ、乾物といのは地味な売り物で、自分までカビが生えてきそうな感じがしてね。ボロ・地味・きたない店の店番はいやだったしクラスメートの女の子がくるのがいやだったなあ。

昭和30年代の思い出といえば、間口の広い店の天井からぶら下がったハエ取り紙の思い出です。12,3本のハエ取り紙にびっしりとハエがついてたな。そのハエ取り紙にはメモがはってあったり、向かいのパチンコ屋のこぼれおちたパチンコ球がくっついたりして。

そうそう、昔の俳優の伊藤雄之助さんが店に買い物に来てましたよ。卵の黄身の大きさを日に透かしてみてたな。そういえば田口計さんも見かけたな。

谷川徹三先生もよく見かけましたよ。床屋でケンカして、ヒゲを当たってる最中でも『帰る!』と言って飛び出して、違う床屋にいってまたケンカして、またまた元の床屋にもどって『続きを頼む』なんてね」

ちなみにねじめさんのお母さんの尊敬しているのが谷川俊太郎さんで『20億光年の孤独』の初版本を持っていたがなかなかサインがもらえなかったという。

後年ねじめさんが詩人になってからもお母さんは谷川さんのファンというくらいだから、なかなか認めてくれなかったが、ある時谷川さんが「ねじめくんだったらできるんじゃない」と言ってくれて、バイエルに詩をつけるという仕事がもらえて、そのおりに谷川さんのサインももらうことができ、そうして、やっと、「詩人ねじめ正一」をお母さんに認めてもらうことができたのだそうだ。

「お父さんが電電公社に勤めている堀尾君という転校生がいてね。彼のお誕生会によばれてはじめてティーバッグを知りました。堀尾君みたいなサラリーマンの家がうらやましかったな。
煮干くささや生活の苦しさから、自分の商売がだんだん恥ずかしくなってってね。夕方五時からの店番を気にしながら野球をしていたなあ。
ほんとうに乾物屋がいやだった。火をつけてやろうかなと思ったこともあった」
 
ねじめさんのおとうさんは俳句をやっておられた。いい加減な親父さんで、最初は調子よくても、人物評価がころころ変わったそうだ。無頼だったのだそうだが、旅に出ても三日で帰ってきたり、都合が悪くなると居留守を使ったりするひとだったという。

「高円寺は中央線沿線のフラットな町で、たとえば浅草のような江戸っ子のうるささはここにないです。『俺の許しなく住んでやがる』なんていう感じはなくて、だれもが出入り自由で住みやすいところでね。だから、役者や絵描き、小説家くずれの人々がやってきましたよ。くずれだかたら、聞いたこともないような人たちでしたね」

庚申通りになにが来てもはやらない店舗があり
そこに、Gパンや毛布などを売る何でもやさんができたという。熊谷商店である。女優の熊谷真美さんの実家だ。

「そこは胸が大きい団令子似の奥さんとミッキーカーチス似の旦那がいてね。小説「熊谷突撃商店」はその『団令子』のものがたりです。普通のひとの普通でない力を出した時の力を表す
そんな小説が書ければいいなと思います」

とはいえ、二足の草鞋をはいての商店街店主はたいへんだろうと思う。フォークシンガーの古川豪さんも京都の商店街で薬局の店主をされているが催し物などの細かな仕事が多くてなかなかたいへんだだろうなと推察している。

「直木賞とっても商店街の寄り合いにいかなければならないんですよ。でないといい気になってるんじゃない?と言われるから。

ハンコ、釣具屋の大津のおやじが『ねじめさんのおくさんのおしりおおきいね』だの『テレビのしゃべりへたね』だの『字、へたね』だのと挑発してくるんだけど、それにも負けないで、七夕まつりの飾りも一生懸命作るんですよ、ぼく。あいつらにものを言わせないためにがんばらねばならないんです。

今はいい庶民がいないから戦っていかねばならないんですよ。わきまえた庶民になってやろうと思ってね。ダメな部分とよい部分の両方を抱えていくことが人を好きになる、愛するということではないかなんてことを思いながら」

「街に生きる」ねじめさんが見つめる庶民の暮らしが、てらいのない言葉にのってイキイキと伝わってくる。「ダメな部分とよい部分の両方を抱えていくこと」かあ。それがおとなだなとおもいながら拍手でねじめさんをおくった。

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Wikipediaより

ねじめ 正一(ねじめ しょういち、1948年6月16日 - )は、日本の詩人、小説家。本名は禰寝 正一(読みは同じ)。東京都杉並区生まれ。杉並区立杉並第四小学校→杉並区立高円寺中学校→日本大学第二高等学校卒業。青山学院大学経済学部中退。父は俳人のねじめ正也。長男は俳優のねじめ宗吾(ねじめ そうご、本名:禰寝宗吾)。長女は脚本家のねじめ彩木(ねじめ さえき)。


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2003年7/28〜8/2まで、東京・有楽町よみうりホールで開かれた日本近代文学館主催の公開講座「第40回夏の文学教室」に参加し「『東京』をめぐる物語」というテーマで、18人の名高い講師の語りを聞きました。

関礼子・古井由吉・高橋源一郎
佐藤忠男・久世光彦・逢坂剛
半藤一利・今橋映子・島田雅彦
長部日出男・ねじめ正一・伊集院静
浅田次郎・堀江敏幸・藤田宣永
藤原伊織・川本三郎・荒川洋治

という豪華キャスト!であります。

そして17年が経つともはや鬼籍に入られたかたもおられ、懐かしさと寂しさが交錯します。

その会場での記憶をあたしなりのアーカイブとして残しておきます。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️