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ざつぼくりん 32「一咫半(ひとあたはん)Ⅴ」
で、ちょっと強引だったんですけど、その指導法を聞きたいのであわせて下さいってお願いしたんです。ちょうとオミくんの誕生日が近かったもので、じゃあっていうんで、そのお誕生会で絹子を紹介されたんです。
はじめて会ったときの絹子はにくたらしいくらいオミくんのこころをしっかり掴んでたんです。担任の僕よりずっと仲がよくて、正直なところ、チクショウって思いました。
でもオミくんと絹子がいっしょにいるところを見てて気づいたんです。このひとは何の構えもなくオミくんと接しているようだって。
八歳になったばかりのダウン症児ではなくて、大事なともだちとたのしく遊んでるだけなんだって感じがしたんです」
オミくんの誕生会に担任の先生を呼ぶので手伝ってほしいといわれて、絹子は早めに片山家を訪ねた。
五月のことだった。朝から有頂天のオミくんといっしょに色紙のくさりや薄紙のバラの花を作って飾った。勝手がわかっているので、食卓に食器なども並べていると、オミくんの母親が、あ、その箸は違うの、と言った。あたらしい箸を持ってきて、今日からはこれなの、と言った。絹子はまあたらしい箸をオミくんの席に置いた。
親指とひとさし指を九十度に開く。その指先同士を結んだ線の長さを「一咫(ひとあた)」という。その一倍半のながさ、つまり「一咫半」がそのひとにもっともふさわしい箸の長さなんだよ、と絹子は片山さんに教わった。
ダウン症児の指は太く短い。毎年それほどサイズがかわるわけでもない。それでも片山さんは毎年オミくんの一咫半をはかり、新しい箸を用意する。
準備ができて、お客さんが来るまでのあいだ、絹子とオミくんは玄関先でタヌキごっこをしていた。緑の色紙を葉っぱの形に切っておでこに乗せて、くるんとひとまわりして、どろん!ポストになりました、と絹子が言うと、オミくんもどろん!といって口を横に大きく開いてすっくと立つポストになる。
オミくんは、どろん!おうどんになりましたという。絹子が体をくねくねさせるとオミくんも大笑いしながら真似をした。どろん!どろん!と繰り返しているときに時生がやってきた。
時生に気づいた「あっ、ときおせんせいだー」というオミくんの大きな声に振り返ると紺の背広姿の時生がつったっていた。きついクセ毛の豊かな髪が目に飛び込んできた。初対面なのに、なんだか仏頂面をしていた。
「オミくんの担任の志水時生です」と自己紹介をしてぺこんと頭を下げたかと思うといきなり「お絵かきはどんな指導法をなさっているのですか」と聞いてきた。
絹子が、「べつに、これといって特別なことはないです」と答えると「教えていただけないのですか」と気色ばんだ。
真面目なのだろう。しかしなんだか直線的なひとだ、と絹子は思った。
そのときオミくんが「どろん! 時生せんせいになりました」といって眉間にしわを寄せ、目を細めた。その顔は時生によく似ていた。
おかしくなって絹子は笑うと、オミくんは得意げな顔つきになった。それをみてようやく時生が笑った。分別くさい顔が崩れると、けっこういい笑顔だと絹子は思った。
時生は落ちていた色紙の葉っぱを頭にのせてくるりとまわり「どろん!オミくんになりました」と言って鼻の頭に皺を寄せ、唇を突き出した。それはオミくんが嫌がるときの顔だ。オミくんのことをちゃんと見ているのだなと気づいた。
三人が笑っているときにその声をききつけた片山さんが現れ、お誕生会が始まった。
「オミくんが絹子と遊んでいるあいだに、おとうさんが設計図を入れるグレイのプラスティックの筒のようなものをもってきたんです。それは振るとカラカラと音がしました。
開けると、そのなかには大きさが少しずつちがういくつかの箸が入ってました。物を食べるようになってからこれまでにオミが使った箸です、と説明されました。
そして、『わたしたちは普通の子よりも早くオミと別れなければならなくなるかもしれません。それで、たくさん食べて少しでも長く生きて欲しいと願って毎年誕生日には箸を変えています』っていわれたんです。
そしてお母さんが、『養護学校に通うようになって、オミはほんとに元気になりました。八回目の誕生会をこんなに笑顔で迎えられてとてもうれしいです、ありがとうございます』といって僕に頭を下げられたんです。僕は恐縮してしまいました。
五年前の僕は、やる気ばかりがからまわりしてたような気がします。自分の学んだことによりかかりすぎていたんでしょうね。
ご両親の言葉を聞いて、あの、なんていったらいいのかなあ、キザなようだけど、ひとりの子の人生、その大切は日々に自分が立ち会わせてもらっているんだという責任と感謝みたいなもんが背骨を伝っていったような気分でした」
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