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ドロシーラプソディー

ドロシーさんと出会ってからの日々のこと。
振り返れば、いろいろあったなと思う。

英語はたいへんだったけど、なんだか新鮮な気分だった。インスタやスレッドに残したものをまとめておく。

☆2024 1/22
手づくり市に出ている
あたしの推しの希舎さんのところへ
中国系のニューヨーカーが来て
希舎さんのお洋服を買ってたんだけど

早口英語であれこれまくしたてるものだから
困ってる希舎さんを見かねて
なんとなくわかるところを訳してたりした。

後日、そのひとがオーダーを出してきたらしい。
でも、よくわからないから
あなた、電話してみて、と希舎さんに頼まれた。

電話で英語で話すことは初体験で
そのスピード感に
頭の中の翻訳機がついていかなくて
しどろもどろになってしまった。
で、結局、ゆっくり喋ってよ、と頼み
こちらは最も簡単な単語で短文を重ねる作戦で

それでなんとか切り抜けられたと思ったら
これから海外に出るから以後の連絡はメールで
と言われた。

つまり英作文してスペルを書かねばならんわけで
英語のスペルは遠い日に置いてきたままなので
最も簡単な単語すら自信が持てず
調べまくることになった。
ひえーの試練だったわ。

そしてまた、中学生英語の単語の短文を重ねて
なんとかクリアした。

ホッ❣️
なんか、白髪増えたような気がするよ。

☆2024 2/15
百万遍の手づくり市に出店してる
希舎さんと
そのお客様の中国系アメリカ人の
ドロシーさんとの
会話のお手伝いをちょこっとしてたんだけど
なんか成り行きで
ドロシーさんとお茶することになって
一時間半くらいずっと
英語まみれになってた。
で、ドロシーさんに
隣国を嫌う日本人が多いのはなぜか?
と聞かれて
そんなの日本語でもうまく答えられないのに
ましてそれを英語でなんて
無理無理無理!なんだけど
相手は答えを待ってるし
なんとかせねば!で
まず日本語で考えて
それをわかりやすい日本語にして
それを英語にするんだけど
あたしの覚えてる英単語では
うまく説明できなくて
もうもう唸りまくりやった。

ドロシーさんは英語を教えてるひとなんだけど
日本人は間違うことをおそれるあまり、
会話ができなくなってしまうみたいなんだけど
間違ってもいいから話すことが大事だと
繰り返し言っていた。
そうだよね、とは思うんだけど
思い返して、文法とか、時制とか
たくさん間違ってたなあって気づくと
いたたまれなくなるよ。
思い出し恥ずかしってやつで
きゃ!ってなる。
とはいえ
まあ、自分が学生時代に
やってきたことのなにかが
少しは今に繋がって
それでだれかの役に立てたのなら
まあ、よかったんじゃない?
と自分にいってみたりする。

ドロシーさん、よろこんでたし。

☆2024 2/17
百万遍の手づくり市で
大好きな希舎さんのところに
やってきた中国系アメリカ人の方と
なんだか仲良くなってしまって
藍染がお好きだそうなので
長く手元に居てくれたこの文袋を
プレゼントしたら
ことのほかお喜びで
「あなたは私を幸せにしてくれた」と。
いやいや、いうたら売れ残りを
押し付けたみたいで
そんなふうにいうてもらうと
なんかどないしましょ、に
なるんだけど
自分の作ったもので
幸せになってもらえたら
それは冥利というものです。
お金儲けでなく
人気が出て、有名になるでもなく
ただ、すきなことを
すきなようにしてきた
いわば道楽のような文袋が
もらう勲章の最上級が
誰がを幸せにする
ってことかもしれないね。


☆2024 3/3
ドロシーさんに
ぎおんのまた吉さんで
お茶漬け御膳をごちそうになった。
こちらはそのつもりではなくて
割り勘にしようと財布をだしたら
ドロシーさんがスマートに
カードをだした。

いやいや、それはなりません、
いやいや、だいじょうぶだから
なんて言葉を交わしながら
アメリカ人とこんなやりとりを
する日が来るなんて
思いもしなかったな、
とこっそり苦笑していた。


☆2024 3/15
百万遍の手づくり市で
お仲間や推しのかたを訪ね
大好きな友野さんに会い
ドロシーさんと落ち合い
ランチをご馳走になった。

ドロシーさんは転職して
6月にボストンへ行ってしまうという。
あと一度くらい会えると思うが
その先はわからない。

ひょんなことから
お話するようになって
お茶して食事して
さまざまなことを語り合い
(あたしはカタコトだけど)
英語は大変なんだけど
会えることがとてもうれしい。

太宰治が好きな中国系アメリカ人!
それはなんとも不思議で
すこぶる興味深い。
☆2024 4/15
ドロシーさんは先月の百万遍の手作り市で、友野さんにジャケットをオーダーしていた。それは今月、素敵に出来上がったのだけれど、本人は今香港で、取りに来れないので、今日、あたしが預かることになった。

そんなこんなをドロシーさんにメールしてその返信を電話で友野さんに報告するなかで、ふっと思い出したことがあった。

「そういえば、ドロシーさんがいつか、ニューヨークに来られるか?って聞いてたよ」
とあたしが言うと、友野さんは
「あら、いいわね、行きたいわ。いつか二人で行きましょ❗️」と言った。

おもいがけない返事だったけど、ああ、そういえば友野さんはインド、ネパールを何度か旅したひとだった、と思い出した。

「おもしろそうじゃない?今は腰痛がひどくてたいへんなんだけど、行くとなったら、頑張って治そうと思えてきたわ」とも。

ああ、そうか、そういう人生の残り時間でやりたいことのリストがあれば、ひとは前にすすむことができるんだなあ。

「友野さんといっしょにドロシーさんのホームタウンのニューヨークへ行く」

いつかその項目にふたりして「やったね!」なんて言いながら傍線引けるといいな。

☆2024 3/30
手づくり市で知り合った
中国系アメリカ人のドロシーさんが
転職してボストンへ行くらしいので
要らないもの、持って行けないものを
同志社岩倉ハウスまで行って
もらいうけてきた。

ポータブルヒーターやら
缶詰やらお米やらクリップやら
トイレットペーパーまで。
重かった。

そしてサボテンがふたつ。
とても大切にしてきたらしいので
ちゃんと面倒見ますと約束してきた。

去り際にドロシーさんに
いつかニューヨークに来れるか?と問われた。
ニューヨークはドロシーさんのホームタウンだ。

経済の問題が、というと
節約して、貯めなさい、と。

うん、そうだねえ。
いやあ、海外へ行くという選択肢が
これまでなかったのは
腰痛のせいでもあったんだけど
それ、英語でうまく言えないし。

軽々と身の置きどころを
海外にでも変えられるドロシーさんと
話すようになって
そういうの、すごいなと思うし
そういう逞しさが自分には欠けてるなあと
再認識したりする。


☆2024 4/25
ドロシーさんが来日したので
友野さんの代理でオーダーのお品を
虎屋茶寮でお渡し。
その前は何度も通ってるのに
なんか気後れしてて
初めて入った。
ドロシーは前にきたことがあるそうだ。
テラス席もあるのだが
ドロシーさんが外は暑いと言い
insight pleaseとなった。

いろいろ話しながら
京都の染色や漆の素敵なお店を
アメリカ人のドロシーさんに教えてもらう。
京都の知らんことが多くて
自分の行動半径の狭さを痛感するが
お店に気後れして入れないことも
大きな問題なんだなと思う。

気後れしないひとは
どんな秘訣をもっているんだろ。

きっとそれは
経験値とか自信とかなんだろうな。
よくわかんないけど。

☆2024 5/6
東寺東門前でバスを降りると
前を行くひとの薄紫色のシャツに
見覚えがあった。
髪が少し短くなっているような気もしたが
歩くスピードがニューヨーカー並みだったので
思わず「Dorothy⁉️」と声を掛けた。
振り返ったそのひとはやはりドロシーだった。

お互いにびっくりして
なんであなたがここに?の気分だったが
すぐに納得した。
ああ、ガラクタ市へ行くんだ、と。
そういえば
前も時間差で今宮神社へ行っていた。
それも骨董市がある日だった。

だって同じものがすきだから
と、ドロシーは笑う。
しかし同じバスに乗ってたなんて
奇跡のようなすごい偶然だと思うし
第一、あたしはドロシーが日本に来てることも
知らなかったんだからね。
驚くのもムベなるかな、だ。

おたがいに好きなように市をまわってから
待ち合わせしてランチをご一緒した。
英語のシャワーを浴びていささか疲れたけど
会えてうれしかった。
彼女の自然な感じは居心地がいい。

彼女は大江戸骨董市にも行きたい
と言っていた。
私も行きたいなあ。
行けないけど。

☆2024 5/9
ドロシーさんと話していて
「あたし、友達作るの上手じゃないから」
みたいなことを言ったら、彼女が
「自分には京都にいい友達がたくさんいるから紹介しようか?」
と返してきた。

なんというか
6ヶ月だけ京都に住んで
大学講師の仕事していた彼女に
生まれは京都で
四十数年後に再び京都市民になって
5年も上京に住み続けている自分が
友達を紹介してあげようか?
と言われてしまう現実に
いささか情けなくなっている。

友達の線引きの違いはあるとはいえ
自分の社交性に難ありか、と思う。

彼女の申し出は丁重にお断りしたのだが
「なぜ?」と聞かれて、少々悩みつつ答えた。
「シャイだから」
そしたら大笑いして
「けっしてそうは思わない」と声を大きくした。

なんだかなあ。

☆2024 5/15
今月末に香港経由で、
アメリカに帰るドロシーさんと
百万遍の手づくり市の
友野さんのboothで待ち合わせして、 
ドロシーさんchoiceの
十割そば屋さんへご一緒した。

ドロシーさんは小麦と味の素に
アレルギーがあるので自身がネットで調べて
そこに決めたそうだが
そこはなんと我が家から200歩のところにある
ご近所さんだった。

よくお話になる明るい店主さんと
ドロシーさんはえがおでペラペラと
お互いの母国語で会話するので
そのまんなかで
あたしがあたふたとにわか通訳をした。
Google翻訳があってよかった‼️

ドロシーさんとあたしは
韃靼そばのざる蕎麦中盛りと
あったかいにしん蕎麦小盛りをシェアした。

ドロシーさんはデリシャス!を連発し
店主さんはその都度サンキューと答えた。
あたしは頭もお腹もいっぱいだった。 

そのあとドロシーさんが
黄色いお花のブローチをプレゼントしてくれた。
3月にあたしがミモザの花を
プレゼントしたお返しだとか。
ありがたくいただいた。
お返しのお返しにポメラニ社さんの
鏡餅をプレゼントしたら
Oh!cute!!と猛烈に喜んでいた。
よかった。


☆2024 5/24
ドロシーさんがニューヨークに帰る前に会える最後の日だった。彼女指定の高島屋の中村藤吉で待ち合わせたのだが、普段高島屋に縁がないものだから、そのお店を探すのがたいへんだった。そしたら彼女もそう言ってた。ハハハ。

抹茶フロートを飲みながら色々話した。

彼女はガチャガチャが大好きだという。どこかギャンブルみたいで面白い、と。それで、出てきた牛と熊をプレゼントだ、と渡された。可愛いものが好きでしょって。ふふふ。

それと、textile yoshiokaで購入したという小さな三角ポーチも貰った。ありがとうございました❗️
染色家の故吉村幸雄さんは高校の先輩だ。ほそーい糸みたいなものがどこかで繋がる、そんな感じがした。 

ドロシーさんと話してて、決まったフレーズならなんとか会話できるのだけれど、自分の状況とかこみいった事情とかを英語にするのはえらく大変だ。日本語で思いついたことをそのまま英訳して口にすると、語順が違ってて、いったん文章にしてから英訳しないと伝わらないのだな、と何度も痛感するのだが、そうするとなにしろ時間がかかる。グーグル翻訳に打ち込んだ方が早い。

もっとがんばれ!あたし!


☆2024 6/3

香港で仕事の整理をしてNYCに帰ったドロシーさんからメールが来た。
少し前にもどったらしいのだが、ひどい時差ボケで使い物にならなかったらしい。
jet-lagged ってのが時差ボケだって。初めて知った。

そのメールのなかで、ドロシーさんは
あたしの英語が去年の秋よりもだいぶ上達している、と書いてきた。

それを読みながら、いやいや、かわらんですよ、と苦笑する。
上達したのではなく、グーグル翻訳を使えるようになっただけですよ。メールはすべてコピペで。ほんと、便利な世の中になったものだわ。

そのあとドロシーさんはpracticeを怠るな!と続けるのです。BBCを聴いて、英語を話す相手を見つけなさい、とも。

うへえ。BBCってめっちゃ速いよね。
日本人の友達でさえなかなか見つけられないのに、いわんや外人をや‼️だし。

ドロシーさんは大学の先生だから、おだてたり𠮟咤激励したりするわけで。
あたしは去年の秋からめっきり白髪が増えたわけで。

と、いいながらTikTokの英語の言い換えとか見てて、Go aheadではなくAfter youなのかあ、と知ったりする。

まあ、ぼちぼちでんな。

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bunbukuro(ぶんぶくろ)
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️