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ふびんや 5「ちりめんのしぼⅡ」
昼過ぎに「ふびんや」のガラス戸があいた。店番をしながら刺し子をしていたひなが気づいて顔をあげると、逆光のなかに手押し車にもたれかかった老女がいた。小柄で白髪のそのひとに、ひなはさりげなく「いらっしゃいませ」と声をかけた。
老女は軽く会釈をして、店の値踏みをするようにめがねの奥の眸を右に左に泳がせる。「ふびんや」の売りものでなにかを目当てのものを探しているのではなく、告げる言葉とタイミングを思案しているようにみえる。
「なにか、お気に召すもの、ありますか?」
ひなが声を掛けると、その声に勇気付けられたように、老女はこっくり頷いたかとおもうと、すぐさま手押し車を押してまっすぐ奥にはいってきた。そして、老女にしてはカン高い声でためらいがちに聞いた。
「あの……こちらで……着物を……作ってもらえる?」
「はい、着物の仕立ても承っていますよ。あの、お客さまの着物ですか?」
「ちがうの……。あの、ヘンだと思うでしょうけど……この子の着物をお願いしたいの」
そういうと老女は手押し車のなかにいたキューピー人形を抱き上げた。体長が五十センチはありそうな大きな人形だった。淡いグレイのモヘア毛糸で手編みした帽子をかぶり、同じく手編みのサーモンピンクのワンピースを着せられている。
「はあ……、こちらの……」そう言いながら、ひなは老女の顔をうかがう。
「ごめんなさいね。変なひとだとおもったでしょ? 呆けてるんじゃないのって」
「いえ、そんなことは……。あの、だいじなお人形さんなんでしょうね」
「そう……もう三十年もこの子といっしょなのよ。わたしは今はひとりなんだけど、この子がいるからさびしくないの」
「まあ、三十年も……」
老女に抱かれた人形は手入れがいいのか、上気したようなきれいな肌色で、三十年の時を過ごしてきたようには見えなかった。
人形はニット帽の下の丸い目でこちらをうかがうように見る。驚いたような、困ったような眸は何も映してしてはいない。なのに、老女のことは何もかもわかっているような顔つきに見えるのは、ふたりが過ごしてきた年月の為す技に違いない。
「そうよ、どこにいくのもこの子といっしょなのよ。スーパーも図書館も映画館もよ」
「へー、そうなんですか。なかよしなんですね。あ、どうぞ、こちらにお掛けください」
ひなが椅子を勧めると老女は手押し車から手を離してそろそろと歩いた。毛羽立ったウールのズボンの下の足くの字に変形していた。膝の関節が曲がっていて歩くと痛むのかもしれない。やはり晩年のチサがそうだった。
「ありがとう。足がねえ、いうこときいてくれなくなっちゃって……」
「大丈夫ですか?」
「……わたし、ずいぶん長生きしたけど、心残りがひとつあるの。この子を連れて富士山に登れなかったこと。そのうちにって思ってるうちにこんな足になって、いけなくなっちゃった。この子にあのお山を見せてやりたかったわ」
「富士山ですかあ。わたしも行ったことないです」
ひなも左足を引きずって歩く。京都で学校の非常階段から突き落とされて大怪我をした。複雑骨折をした足は元通りにはならなかった。
「それでこちらのお名前はなんと?」
「鞠子よ。手鞠の鞠って字。この子、横浜からきたのよ。ハイカラさんなのよ」
老女は身を乗り出して誇らしげに答える。その名を何人のひとが知っているのだろう。
「へー、おしゃれさんなんですね」
「そうよ。三十年間、この子の洋服は全部わたしが作ってきたんだけど、今度のお正月には着物を着せてやりたいって思ってね。お願いできるかしら?」
「はい、わかりました。えーっと、着物地はどうしますか? うちではリサイクルの着物地で作っていますので、お客さまのお着物で作りましょうか?」
「ああ、それがね、わたしの若いときの着物は全部火事で燃えちゃったの。鞠子と会う前のことだけどね」
「……まあ、それは残念でしたねえ」
「もうもうきれいさっぱりよ。炎って、いいものもわるいものもみんな飲み込んじゃうのね。あっけないものよね」
老女は目を落として、節くれだった手をさすり始める。あたりまえにその手のなかにあったものが消えてなくなる。このひともそんな経験をしたひとなのだ。
「……ま、そんなたいしたものは持ってなかったけどね……」
「もののねうちは値札やののうてひとのこころがきめるんえ。自分でねうちのわからんおひとほど値札ばっかり気にしやはる。そんなひとになったらあかんえ」
東京に来たころよく言われたあずの言葉を思い出す。恵吾の支援があったとはいえ、店がうまくまわっていかず、そんな言葉で支えたふたりの暮らしだった。
「……それじゃあ、うちにある着物地で作りましょうね」
「ええ、多少値が張ってもいいから、良いものでお願いします」
老女は斜め掛けしていた茶色いショルダーバッグからそうふくらんではいないがまぐちを取り出した。
「いえ、代金は出来上がってからでいいです。えーっと、鞠子さんのサイズを計るので、鞠子さんをしばらくお預かりしてもいいですか?」
「それはだめ!」キッとした口調で老女が即答する。
「わたし、お風呂もご飯も鞠子といっしょなのよ。この子がいないと困るの。この子がそばにいないと、わたし、眠れないの」
「あ、そうでしたか。ごめんなさい、じゃ今、計りますね」
ひなは鞠子のニットのワンピースを脱がし、ぷっくりとした体にメジャーをあてる。肩幅、裄(ゆき)、着丈、前幅、おくみ幅などを人間にするのと同じように採寸する。くったくなくされるがままになっている鞠子に、幼いころのお人形遊びを思い出して、ひなはなんだかくすぐったい。
「お袖はどうします? 中振袖くらいにしましょうか?」
「ええ、色や柄はおまかせしますから、華やかにしてやってね。帯とか小物も揃えてちょうだいね。お金はちゃんとお支払いしますから」
出来上がったら知らせる約束で連絡先を聞いた。老女の書いた住所は「ふびんや」からは各駅停車で二駅先、歩けば三十分ほどの距離だった。老女の足だともっとかかるに違いない。アパート名は「たむら荘」で、老女の名は内藤公子とあった。
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