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ざつぼくりん 54「わたこⅡ」

翌朝、玄関で時生を見送る沙樹が訊いた。

「とうさんは春休みもお仕事なの?」
「ああ、新しく入学してくる一年生のための準備しに行くんだよ」

「ふーん。つまらないなあ。……いってらっしゃい」

父親っ子の沙樹はすこし残念そうな顔になる。その傍らで眠そうな顔の多樹は「とうさん、今日は早く帰ってくるの?」と訊ねる。

「いや、残念ながらご用があってちょっと遅くなるかもしれない。いっしょにご飯食べられなくてごめんね」

時生は仕事が終ってから、出張で京都から上京してくる高校時代の同級生と会うらしく、夕食もいらないと言っていた。

「多樹も沙樹もかあさんの言うことよく聞いて、いい子でいなさいよ。怪我しないようにね。じゃ、いってきまーす」

ドアがしまると多樹が足元に置いていた「わたこ」を抱き上げ、スイッチをオンにした。「わたこ」は、うぃーんという機械音とともに動きはじめた。

「今日もわたこが生き返ったわ。よかったー」

「わたこ」の目と耳と体が多樹を捉える。多樹が頭を撫でると、「わたこ」は自分が動けることを確認するかのように体の各部分で細かく反応し、しばらくして、「みゃお」と短く鳴く。その声が、夕べはどうも、といっているように聞こえ、やはり「わたこ」は只者ではないようだ、と絹子は思う。

「ね、おふたりさん、今日は天気もいいし、カステラ作って志津さんちに持って行こうかと思うんだけど、どうかしら?」

「うん、行く。絶対に行く。わたこも行く」

多樹が意気込んで答える。「わたこ」の目が光る。

「カステラカステ、ラランランラン……しるこちゃんもいっしょにおてつだいするー」

沙樹がばたばた走り回って、はしゃぐ。沙樹はカステラに目がない。

「では志水家のぐりとぐらさん、おおきなおおきなカステラ作りましょう」

陽射しがたっぷり差し込むキッチンに、にぎやかなふたごの話し声と香ばしいかおりが満ちた。

 
「しずばあー、あそぼー」
「カステラもってきたよー、おいしいよー」

ふたごは沢村家の木戸をくぐり、勝手知ったる玄関の戸を開ける。春の風はのびやかに吹き渡り、庭の木々を撫で、ふたごのくせ毛とスカートをふわりと舞い上がらせ、また木戸から外へと飛んでいった。

明るい外から中にはいると目が玄関の薄闇になじまず、ふたごは立ち止まる。しばらくするとぼんやりと辺りのものが浮かび上がってくる。「あっ」と多樹が声をあげ、靴脱ぎに揃えられた男物の靴を指差す。

「かあさん、おきゃくさんだよ。大きなくつだよ」

スェードの紐靴が玄関の真ん中に見える。褪せたベージュが少々草臥れて見えるが、見覚えのない靴だ。男の人がきているらしい。

「あら、多樹ちゃん。沙樹ちゃん。来てくれたの」

奥から志津が現れ、そのうしろの薄闇にジーンズをはいた見知らぬ男性が立っていた。靴の持ち主にちがいない。白髪交じりの長い髪のそのひとを、ふたごは好奇心いっぱいの目で見つめ、互いの耳元で内緒話をしはじめ、くすくすと笑いあったりもする。ふたりがどんな人物評をしているのかわからないが、そのひとは、穏やかな表情の下に、どこかきちんとした枠には入りきれない、はみ出したものを隠し持っているように絹子には見えた。

「志津さん、こんにちは。ごめんなさいね、お客さんだったんですね。これカステラ、ふたりといっしょに作ったの。よく孝蔵さんと食べたなって思い出して・・・」

絹子が差し出した袋をのぞき、志津がその匂いをかぐ。

「まあ、ありがとう、そうだったわねえ、華ちゃんもいっしょに食べたわねえ。ああ、おいしそうな匂いだわ、絹子さん。どうぞあがってちょうだい。多樹ちゃんも沙樹ちゃんも」

「あ、でも……」
「あ、ああ、そうだったわね、ご紹介するわ、こちらは次郎さん。傾聴のお仕事をなさっているの。極楽寺からお見えなの」

なんのことだかわからない絹子は、傾聴? 極楽寺? と聞き返す。次郎はジャケットのポケットをさぐり、古布で作られた手作りらしい名刺入れから角のまるくなった名刺を取り出し、どうも、と言いながら絹子に手渡した。

「ひと月ほど前から孝蔵さんのこととかいろいろお話を聞いていただいてるの。でも今日はもうおしまいだから、大丈夫よ。ちょうどお茶にしようと思ってたところなの」

「あの、こちらは絹子さんと多樹ちゃんと沙樹ちゃんですね」

自分たちにむけられた次郎の言葉に答えるように、ふたごは頭を下げる。

「しみずたきです。五さいです。このねこはともだちのわたこです。」

「ああ、ご丁寧に。わたしはジロウです。五十八歳です。はじめまして。」

「しみずさきです。五さいです。このこはしるこちゃんです。あの、ジロウさんは白髪のおじいさんなの?」

「そう、おじいさん。藤太っていう孫がいるよ。でもJ・Jって呼ばせてるけどね」

「ふーん。じゃ、じぇぃじぇぃじぃさんは、どうしてそんなに髪の毛がながいの?」
「どうしてそんなにヤギみたいにおひげもながいの?」

「ふたりとも、そんなこと聞かないの。すみません」

「いえ、大丈夫です。うーん、昔からずーっとこうだからなあ……。まあ、自分に似合うと思うからだけど、きみたちから見て、どうかなあ?」

ふたごはふふふと笑ってまた内緒話を始める。

「あらあらいつまでも玄関でごめんなさいね、さあ、あがってちょうだい。カステラ、こうじぃにお供えしましょうね」

ふたごといっしょに廊下を行く志津の後ろ姿を見ながら絹子がひとりごとのように言う。

「……志津さん、あかるくなったみたい……」
「ああ、そう思われますか。よかった」

「……ほんとに仲のいいご夫婦だったから、しかたがないとはいうものの、やはり気落ちされて、ほんとにさびしそうでしたから」

「わたしは、こちらにおうかがいするのは今日で四回目なんです。いろいろお話聞いて、もともと明るいかたなんだろうなとは思っていたのですが……」

「ええ、志津さん、いつも目がキラキラしてて、ほんといい笑顔なの」

絹子と次郎が少し軋む廊下を進むと線香の匂いが漂ってきて、鉦の音が聞こえた。仏間に入ると、今にも「おう、よくきたな」と言い出しそうな孝蔵の大きな写真が迎えてくれる。仏壇の前で多樹も沙樹もきちんと正座して手をあわせている。「なーむなーむなーむ」というふたりの幼いお経がつづく。絹子がふっと隣りを見ると次郎の表情が変わっていた。

「あの、どうかしましたか?」

その声に我にかえったように、肉の薄い頬に細長いえくぼを作って、次郎が口を開く。
「いや、……ちょっと思い出したことがあったもんで。失礼しました……」

おまいりが終わったふたりは、カステラいただきましょうね、という志津にうながされダイニングへ向う。沙樹の背中がうれしそうだ。

「ふたりとも小さいのにえらいですね、ちゃんとおまいりができるんですね」

「……娘たちはほんとうに孝蔵さんが大好きでしたから……でも、だからこそ、亡くなったことを承知させるのがたいへんでした……特に多樹のほうは、今でも、こうじぃはどこかに隠れてるだけだって言い張ってます。どこか強情なところがあって……それはわたしに似たのかもしれませんが……ときどき手を焼きます」

「う~ん。そうですかあ。……かわいそうに、思いつめているんですねえ……」

言葉を切った次郎はしばらく口ごもり、視線を畳に落とす。「でもわたしは……」といい始めた次郎の声が深くなっていく。



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