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ざつぼくりん 42「よわむしⅡ」
それはうれしいが、やっぱり筋が違うじゃねえか、なあ。
「そりゃあありがてえが……しかし、時ちゃん、それじゃあ、京都にいる本物のじいさんに……わるかねえかい?」
そん時は、時ちゃんのおやじさんが、月明かり浴びて肩を落として坂を上っていく昔の姿が目に浮かんできて、そういっちまった。奥さんなくして、再婚もしねえ、息子ふたりをりっぱに育ててきたんだもんな。横からひょいと孫を横取りなんかしちゃあ、申し訳がたたねえよ。
そしたら時ちゃんは、首を振って言うのさ。
「いや、おやじは京都で早速動けないから、そうしてもらえると安心だって言ってます」
「しかしな」
って言いかけたら志津が
「まあ、じゃわたしは香苗さんの代わりになるのね。うれしい」
なんていうんだ。
めったに見ないようなきらきらした顔してそう言うのさ。そしたら俺も「うん」って言わないわけにはいかなくなったってことさ。
「ありがとうございます。……かあさんの名前覚えててくれたんですね、志津さん。……かあさんも喜びます」
時ちゃんはそう言ってあたまを下げた。あたりめえじゃなねえか、志津が死んだ人のことをわすれるわけねえよ。時ちゃんもさ、十五で母親亡くして、京都のおばさんとこに世話になってさ、そりゃ、寄る辺なくて苦労したろうよ、なんてことを思ってたら、ふっとカンの顔がうかんできた。あいつも、いつだって寄る辺なかったろうよ。
「な、時ちゃん、勝手な話なんだが、……カンのやつもじいさんにしてやってくれねえか?」
気がついたらそんなこといっちまってた。
「あ、カンさんが承知してくれるのなら、是非お願いしたいです」
「そうか、いいのか、よかった。……あいつ、よろこぶぜ」
カンは、絹さんがふたごを身籠ってるって聞いたときから、どういう按配かわかんないけど、変わってきてたんだよ。あいつはもともと静かな人間さ。面と向かやあ、穏やかで凪いだ海みたいなんだけどさ、どうもその底にえれえ深いもん抱えてるみてえな感じがしてしまうのさ。いろんなこと、山ほどあきらめてきた人間のため息みたいなもんがさ、ときどき聞こえてきそうで……あいつも、ふっとどこか遠いところへいっちまいそうな不吉な気配があって、案じられたもんさ。
華ちゃんが来て仲良くなって、絹さんのおなかのふたごをめぐっていろいろ行き来が増えてきたからだろうが、そのため息がだんだんきこえなくなってきた。ここんとこは、なんだか浮かれ気分に見えてた。
そりゃあ、絹さんと華ちゃんの手柄さ。いやふたごが生まれるってことがカンの気持ちを動かしてたんだろうな。きっと甲斐をめっけたんだろうよ。そんなことがあるんだな。縁なんてのは、わからんもんだよな。
「ふふ、カンさんがなってくれたら、きっと、華子もよろこぶわ」
なんて絹さんも言ってたさ。いい笑顔で言ってたさ。
てなわけでさ、俺は「こうじぃ」って呼ばれるようになったんだよ。そんな日がくるなんて思ってもみなかったけどな。はれがましいことさ。志津は「しずばあ」でカンは「カンじぃ」さ。
俺、ふたごのおんなのこのじいさんになっちまった。長く生きてるとこんなこともあるんだな。見ずに終わるはずだった景色を見せてもらえることがあるんだな。
絹さんは華ちゃんとおんなじで、年の離れた末っ子らしくて、おかあさんがだいぶ高齢なんで、産後の面倒がみられないらしい。そのうえ、赤ん坊はふたごだからさ、時ちゃんは養護学校の仕事、産休を取ったんだよ。ま、時代もそういう時代だし、よかったよ。
それでも、それからがたいへんだった。ふたごってのは、ああしてくれこうしてくれが、いつも同時にくるんだよ。号令でもかけたようにな。はじめて知ったよ。カンはそのことにえらく感動してるみてえだったな。
「ほんとにふたごさんというのは神秘的です。同じ顔、同じ声。同じしぐさ。同時にぐずり、同時にミルクを欲し、襁を濡らし、同時に眠りにつくおふたり。ふたごさんはシンクロニシティのきわみです」
なんて例の調子で言ってな。おかしな奴さ。だけど、おかげで時ちゃんたちはきりきりまいまい、てんてこまいさ。そのうえ、まあ、明ちゃんのことがあるからだろうけど、時ちゃん、あきれるほど心配性なんだよ。
季節が冬に向うからさ、風邪をひかせちゃなんねえって気ぃ使って、部屋の温度やら湿度やらに神経遣ってこまめにチェックするし、身の回りのあらゆるものを徹底的に消毒してたってさ。気持ちはわからなくないけど、まわりのもんがたいへんだわな。
絹さんも振り回されてたらしい。挙句、志津に「それはありがたいんだけど、なんだか落ち着かなくて」ってため息まじりに漏らしてたよ。思うに、絹さんはそういうこせこせしたのが似合わねえたちだよ。ちょっとおおまかで、ものごとを噛み砕かないで、まるごとのみこんじまうみたいなところがあるんだ。だから時ちゃんの細かい神経の使い方が性にあわねえんだろうよ。
そんなんじゃ産後の肥立ちが悪くなるって心配した志津が、食事係を引き受けて、ふたりのあいだの緩衝材になったんだ。夕方から食材を持って時ちゃんとこ行って晩飯つくって、次の日の朝昼の飯の下準備をする。若いふたりがたまにはゆっくり食事できるようにって、俺とカンがいっしょにいってふたごを抱き取ることもあった。なにしろ俺たちはふたごの東京でのじいさんだからさ。
いやあ、抱き取るっていったってさ、俺はおとこのこしか抱いてこなかったからさ、どうもおんなのこはぐにゃっとしてやわらかすぎて、こころもとないんだよ。こわごわさ。まあいえば、手の中に生卵があるってかんじの緊張感だった。
こう、息つめちゃうんだよな。それでもありゃあ、いいもんだぜ。久しぶりに嗅ぐ赤ん坊の匂いだったさ。赤ん坊ってちっこくって軽いんだけど、だんだん慣れてちからが抜けてくると、赤ん坊の重みが自分の重心になってくるんだ。うまく言えねえけど、自分のまんなかにあったかな重みがあって、それごと自分なんだっていう感じなんだ。昔を思い出した。
カンも緊張してたよ。力んでロボットみたいにぎくしゃくして抱いていた。本みたいにはいかねえよな。生身だもんな。志津はその格好が微笑ましいって言ってたけどな。
そのうち、だんだん担当が決まってきてな、俺が多樹ちゃん、カンが沙樹ちゃんを抱くことが多くなった。いや、俺たちがきめたんじゃねえよ。あのこたちが選んだんだよ。
最初はわかんなかったんだけど、それぞれのふところだったら居心地よさそうに眠りに落ちるんだ。違えるとぐずるのさ。これも不思議なもんだな。 カンはな、しょちゅう、沙樹ちゃんに話しかけてたよ。
「沙樹さんは今日も元気でしたか? あたしは元気でしたよ。今日は珍しくおきゃくさんがたくさんきてくれまして、雑木林はにぎやかでしたよ。ありがたいことに高い本がうれましたよ」
なんてさ。沙樹ちゃんはその声につつまれると安心したみたいに、眠るんだよ。そんなわけで、しばらくすると俺とカンさんはふたごを確実に見分けられるようになったんだ。
「おうおう、じいちゃんにはわかるぞ。おまえは多樹ちゃんだね」
俺がそういうと不思議に多樹ちゃんは声をあげた。
「こんなにそっくりなのにどうしてわかるの?」
志津はちょっと悔しそうに聞くんだけど、そんなのよく見てりゃわかるさ。俺たちゃ、あのこたちのじいさんなんだからな。そういうこころいきさ。ま、カンに聞いたら「さてね」なんて煙に巻くだろうけどよ。
「多樹も沙樹もすてきなおじいさんがいっぱいいてよかったわね」
絹さんが声弾まして言うんだ。よかったのは俺たちのほうさ。多樹ちゃんと沙樹ちゃんにどれだけあったかくしてもらったかわからねえよ。
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