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ふびんや 4「ちりめんのしぼ Ⅰ」

小春日和が暮れていく。たっぷりと差し込んでいた陽が翳りはじめると、部屋の四隅からおもむろに薄闇が立ち上がる。

その墨色の境界線はじわじわと伸びて陣地を広げ、一番に隅に置かれた小さな仏壇を飲み込む。そこに飾られている恵吾とチセの写真の色が溶け、表情がふっと消える。続いて壁際に置かれた和箪笥がそのくらがりに沈む。そこにひながいる。

「そこでなにしてるのん? ひな」

物干しから洗濯物を取り込んできたあずが廊下から少し息をはずませて、聞く。

「あ、母。ちょうどよかったわ。ね、おばあちゃんの着物ってどこにしまってあるの? ずっと探してるんだけど見つからないの」

旧東海道品川宿ちかくの和風雑貨屋「ふびんや」の主力商品は古い着物をリサイクルして作る洋服である。按配よく設えられた骨董を脇役にして和の文様を生かしたコートやワンピースなどが店内を彩っている。

五年前、京都・西陣に住まうあずの母親チセが亡くなったとき、その形見の着物をすべて親族に無理をいって送ってもらっていた。

「どの着物がほしいのん? だいぶ仕立て直して売ってしもたさかいに、そうたんとは残ってへんえ」

そういいながらあずが部屋に入ってくると、抱えた洗濯物から日向の匂いがした。

「ほら、おばあちゃんにしては派手なのあったでしょ。あの濃い紫の地で暖色系の大きな花柄がついてる、しぼの大きなちりめんの着物」

「ああ、あれか。あれはけっこうええもんえ。……えーっと、どこやったかいな、ちょっと待ってや」

あずは洗濯物を脇に置いて、灯りをつけて押入れを開ける。中にある引き出しには雑貨つくりに使う細々したもの、ボタンやファスナー、カバンの持ち手や接着芯などが整理してしまってある。

「えー、そっちにしまってたの? こっちにないはずね」

「あの生地はこのあいだ、柄のとこをちょっとだけ黒の正絹のワンピースのアクセントに使わしてもろたさかいに、別にしてあるねん。……えーっと、ここらへんにしもといたはずやねんけどなあ……ああ、あったわ。ほれ、これやろ?」

「あー、これこれ。やっぱりいい色よねえ」
「まあ、紫は高貴な色やしなあ。これ、十三詣りのときに作ってもろたんやっておかあちゃん、言うたはったわ。もう、えらいむかしのはなしやなあ」

むかしはよかった、というのが、チセのくちぐせだった。景気がよかった時代もあったが、西陣での暮らし向きは音楽の記号のように先細りになっていった。あずがいない長い時間をひなはチセと過ごした。糸繰りの機械音のなかで細かな手仕事を教わりながら、そんな愚痴も浴びるように聞いた。

「あーあ、十三詣りかあ、わたしも行きたかったなあ、嵐山。渡月橋で振り返ったら知恵を落っことしちゃうのよね。そういえば東京じゃあんまり十三詣りって聞かないよね」
「ほんまやなあ。やっぱりこっちには嵐山があらへんさかいにとちがうか」
「ふふ、母ったらまたそんなことを言う」

十年前、あずが恵吾のいる東京に来ることを決めたとき、ひなは十歳だった。ふたりはもう京都には二度と帰らないのだと誓った。嵐山の十三詣りとは縁がなかった。

「ほんで、これでなにを作る気なん?」
「着物。今日、母が着付け教室に教えに行ってる間に注文があったの」

あずは常連客に頼まれて、月に二回、町内会館で着付けを教えている。料亭で仲居の仕事もしていたあずの着付けは、締め付けがなく動きやすいと好評だった。

「ああ、それはよかったけど、この着物地はちょこちょこ、つこてたさかいに、着物にするには寸法が足らんえ」
「いいの、それでも」
「へー、ほんならお客さんて、子供さんかいな?」
「うううん、……鞠子さん」

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bunbukuro(ぶんぶくろ)
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️