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遠足

男前に会いに行こうと思った。与謝野晶子が「美男におわす」と詠んだ大仏にである。朝の家事もそこそこにして、鎌倉に向かった。
 
目を閉じると、二、三日前から心にからみついて離れない鬱々とした気分がまた立ち上ってくる。たったひとつの言葉が心に突き刺さったまま痛み続けている。この思いを捨てたくて、電車に乗った。

平日の午前中、大船へ向かう電車はゆったりと空いていてだんだんとのどかになっていく眺めのなかをすべるように走る。雨をはらんだ六月の風は重たげに吹き、窓の外の景色を強く揺らしていた。

大船で乗りかえる。平底の靴にリュックサック姿のおばさんたちが電車を待っていた。楽しげな会話がはずんでいる。ただ、その一員でないものには苦痛にもなる。

鎌倉から江ノ電に乗る。ガイドブックを繰りながら先に近代文学館へ行こうと思った。以前訪れた時は休館日だったが門から見えた遠景のなかで木々はゆたかに茂っていた。

前田家旧邸の庭のうっそうとした緑に驚く。名も知らぬ鳥の鳴き声がにぎやかだ。石を積んだアーチをくぐると青い屋根の洋館が見えてくる。
 
洋間の窓から見える海は荒れていた。なびく木々を縁取りに、暗い海をバックにして、波が繰り返しその白い腹を見せつけていた。
 
その繰り返しはどこか痛々しく感じられたが、飽かず眺めた。文学ゆかりのどの展示品よりも心に残る光景だった。

中庭で、木のベンチに腰掛け、盛りをすぎたバラを見つめた。

バラのとげがささっているかのような痛みが身のうちにあった。
 
最近、人の悩みを聞くととても疲れるようになりそれをMさんに相談すると彼女はこう言った。「相手からいい人だと思われたがってるからしんどくなるの。聞き手としては難ありね」

話の流れのなかのことなのだが、あたしにはその「難あり」という言葉が痛いのだ。

MFHと略される「悪性線組性組織球腫」という珍しい病気で私は左顎の骨を失った。それだけで済んで幸運だったのだと思っている。

この腫瘍には治療法というものがない。また、その腫瘍ができたら、どこの骨でも、切るしかない。切れないところにできたら、アウト!で私はフェイドアウトすることになる。地雷を踏んだらさようなら!だ。

それが私に与えられた逃げようのない現実である。これは交通事故とおんなじ確率だとも思っている。いつ、だれに、どんな不幸が起るかわからないし、それは、予想のしようがない。

この病気でなくっても、長生きできる保証はない。命と引き換えに、片頬になったのだと納得してきた。

しかし、時に不安定な気分になる。自分に集まる視線が疎ましい。何気ない言葉に囚われ、人を羨み、自分を哀れみ出口のない思いで自分の心を抉ってしまう。

うつむきながらも、ここで泣くわけにはいかないと思いながら腰を上げ、バラの花に別れを告げた。

高徳院清浄泉寺へ向かうと小雨がふりだすが、かまわず進む。拝観料を払って潜り戸を抜けると、
雨空を背景にした薄緑色の穏やかな表情の大仏が見えた。

一見してアジアの人とわかる団体客が、傘もささずににこやかに写真におさまっている。こだわりなくキスをかわす中年の白人夫婦もいる。どの人の顔も緊張を解いている。
 
私も大仏の真正面に立ち、見上げる。私の男前は歴史のどの場面でもそうであったように、雨の中で、静かな微笑と共に時空を超越した大きさでここにいる。

我ながら単純だなと思いながらも、寄りかかるような思いでその整った男ぶりに見惚れる。優しい顔だ。

大きな肩や豊かな頬の線の柔らかさにも心がなごむ。つつみこまれる感覚に身を委ねる。ここでは自分の小ささが心地よい。

そうだ、小さな自分でいいのだと思う。そしてこの大仏の前では、欠けた難ありの自分でいいのだとも思う。

ふっくらとした指先が動き出して、私の頬を触れたような気がして目を閉じた。その指は心のトゲを静かに抜き去ってくれるような気がしていた。


読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️