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川村記念美術館 2010

東京駅八重洲口から一時間ほどバスに乗って
千葉県佐倉市にある川村記念美術館へ。

ブログには京成バス3番のりばと書いてあって
それは出口からは案外遠くて、
迷ってあれこれ聞いてロスタイムして
発車時間が迫っていて
い、いかん!と大慌てで走りました。

その甲斐あって間に合って
高速に乗って、東京から千葉へ向かいました。
それはもう小旅行のような気分で。

都心を行く窓の景色は人工的な灰色ばかりで
ハイウェーの向こうには
地球に突き刺さった大きな棘のような
高層ビルが林立していて

それはそれでいいのだと思いつつも
そのなかを蠢く人の数を想像して
白アリの巣を見ているような気分になって
肩をすぼめたりしたのでした。
 
大きな倉庫だらけの街の次に
おとぎの国のシルエットが見えて
それからしばらく行くと
ぽかんとなにもない平地が広がりました。

耕作の終わったまっ平らの黒土の地べた
その縁で風に揺れるススキ。
枯れ草に覆われた空き地。
飛び飛びにある家屋、
その塀の中に実る柿の実、
家の前の畑で腰をかがめて菜を採る老人。

しばらく目にする事がなかった光景でした。
それは遠い日、
幼い自分が駆けまわっていた光景に似ていました。

こんな道をバスが行くのかと感心してるうちに
川村記念美術館に着きました。
サイロのような外観です。

まずは腹ごしらえ。レストランでランチを。
パスタセットのタリオリーニがあっさりとして、
なかなかよかったです。


美術館ではバーネット・ニューマン展が。

現代アートの理屈はようわからんです。
理解するというよりは
好きか嫌いか、なにか感じるか感じないか、
それしかないなと思っていたのですが
解説に思弁的という言葉が出ていて
それを調べると

「経験に頼らず、純粋な論理的思考だけで、
物事を認識しようとすること」

とあって
ますます迷路に入った気分がしたのでした。

しかし、敷地内の自然散策路は
ずっと迷っていたくなるような癒しの空間でした。


まっすぐに伸びた杉の木の下で
自分の魂だけがすーっと高みへ登っていくような
そんな気がしました。
春になったら天敵になるのだけど、
などと苦笑しながら。

穏やかな日差しを浴びて
のんびり池の噴水などを眺めていると
水鳥がやってきます。


えさを求めて鳴く
その鳴き声のけたたましさ。
生き抜く力なんて言葉が浮かんできたりして。

次の年を生き抜くために散る楓も
こんなに紅く燃えておりました。

ニューマンさんは
色は小麦粉で自分がそれをパンにするのだ
とビデオで言っていました。
その言葉を思い出しながら
この紅葉の赤をみていると
神様の技の凄さよ、と思ってしまうのでした。

水があって、緑があって
紅葉が散り、野鳥が鳴く
そんな空間をそろそろと歩きながら

自分は
どこから来て
どこへいくのか

しらずしらずに
自分の過去と現在と未来を
三つ編みのように編んでいましたが
それはなんだか手ごわくて
いつまでたっても
きれいには編みあがらないのでした。

でもそういう時間が
自分には必要だったのかもしれないなと
思ったのでした。
それはこの美術館からの
贈り物だったのかもしれません。

時刻が回ると風が吹きはじめ
美術館の幟をはためかせました。
なにかを打つようなその音が
癒しの時間の終焉を告げているように感じました。

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bunbukuro(ぶんぶくろ)
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️