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伏見

10年ほど前の伏見のスケッチ。街は今もまた変わり続けている。それが人の営みだな。

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所用があって実家のある伏見へ行った。

通学に使っていた京阪電車に乗って降りるのは中書島駅。当時、乗っていたのは、緑の濃淡の電車だったなと思い出す。

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中学高校大学と毎日この駅から電車にのった。周りの景色はいろいろ変わっているが、駅の地下通路への階段は変わってなくて、重い鞄を抱えて、上がり下りしていた自分が浮かぶ。

当時、ここで毎日会うあこがれさんもいないわけではなかったのだが、駅は今、龍馬さんでいっぱいだ。

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駅を出て、中書島商店街を歩く。長い時間が流れ、あたりまえだが、馴染みの風景は何もない。

高校時代の友人の家があったはずだが、と、記憶を手繰るが、あやふやな感覚だけで定かに思い出せない。

看板に案内されて、船着き場へと足を向けると川にでる。柳の枝の揺らぎを眺めながら、自分の思い出の中には、こんな風景はなかったよなあとおもうのだが、それも定かではない。

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ああ、船が行く、NHKでみたのとおんなじだ、なんて苦笑交じりに思う。

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向こう岸に渡れば、有名な寺田屋さんだ。坂本龍馬ゆかりの場所。

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この近くの大通りを毎日バスで通っていたのに
ここに寄ったことはなかった。

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伏見にいて伏見のことを知らなかった。

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若い日は自分の時間を追うことだけで過ぎた。どんなに身近にあっても、歴史はまるで遠いおはなしでしかなかった。

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歴史の歯車を大きく動かしたひとの生きた時間をはるかな思いで辿る。志半ば、なんて言葉が浮かぶ。

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時代がひとを産むのかも知れん、と思ったりもする。

異変を知らせようと、おりょうさんはこの階段を駆け上った。

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このお風呂場から。

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過ぎ去った時間が色濃く残る空間は、すこし息苦しい。


寺田屋近くの龍馬通りと名付けられたその小路は、学校帰りに親友とよく歩いたものだったが、やはり姿を変えていた。今のここは、新京極の土産物屋の雰囲気がして、また苦笑する。

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もはやそこにはない昔馴染みの喫茶店を思い描き、そこで長い時間を一緒に過ごした親友を思った。「セシボン」そんな名前の店だった。

なにをするでもないのに、いっしょいいると楽しかった。なにより安心だった。

親友も伏見にはいない。あたしたちの伏見はもうないのだなと思ったりした。



読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️