領収書
これも小説に生きたエッセイだ。ネタを探していたわけではないが、巡り合わせのように、飛び込んでくるものがあって、それをなんとか、書き留めていた、そんな感じの日々があったわけで。
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本棚の整理をすると自分の記憶というものに絶望する。えっ、こんな本があったのかと何度も驚く。「名句 歌ごよみ 春 大岡信 」これもそんな一冊だ。
短歌音痴のわたくしがなんとか短歌に馴染んでいこうとして買ったのかもしれないが、実はこれもブックオフ105円コーナーからの救出本だと裏表紙につけられた値札が教える。そんなことも忘れてしまっていた。
さて、この本には俳句も並んでいる。
「春雨や ゆるい下駄借す 奈良の宿」 蕪村
なるほど。ゆるい下駄なんだなあ。ものが語るんだなあ。そういう宿なんだ。それが奈良なんだ。
などと感心するつつページをめくっていると、32ページと33ページのあいだに、二つ折りになった白い紙がはさんであった。
開いてみるとそれは領収書だった。
金6000円也。平成13年3月18日の日付がある。出したのは「天妙国寺」というお寺で平成13年度の護持費とある。
あてなは中川義雄殿だ。その裏に中川さんの直筆なのだろう、少し震えた大きな字で
「受けて
忘れず
施して
語らず
13、3、18、春彼岸」
とある。
けっして上手くはないが、生きた年輪を感じさせる雰囲気がある字の運びだ。
きっと中川さんはこの領収書のことを、すっかり忘れてしまったのだろうなあ。
はさんであったページには
「陽炎や塚より外に住むばかり」
という内藤丈草なるひとの句があった。
大岡さんの解説によると、塚というのはお墓のことで芭蕉の墓参りした内藤さんが、陽炎と見ているうちに生のはかなさにうたれ、自分もやがては土に帰っていく身なのだが、今はただ墓の外に住んでいるだけのことだと歌った句だそうだ。
中川義男さんはこの句を選んでここに、寺への布施の領収書を挟んだのだろうか。あるいは偶然そこにおさまったのだろうか。
いずれにしろ偶然わたしの元にたどり着いた領収書は、なんだかしっくりとそこにおさまっているように思えた。
そして、そののちのこと。
おもわぬところから現れたお寺の護持費の領収書をもう一度ながめてみた。
寺の名前は天妙国寺。
なんとなく覚えがあるような、ないような名前なので検索してみた。
品川区南品川にある法華宗のお寺で、鬼平犯科帳に出てくるお寺だそうだ。
他にも 「消えた男」や「霧の朝」「顔」に出てくるらしい。いやあ、そうだったのかあ、と鬼平ファンはうれしくなってしまう。
浪曲師桃中軒雲右衛門(1873-1916)のお墓もある。切られの与三郎の子孫の墓もある。そして中川義雄さんが参るお墓もあるのだ。
ものごとの切れ端が静かに繋がっていくさまをながめていると、ほかっとこころのどこかがあったかくなる。