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そんな日のアーカイブ 2003年の作家たち 2 高橋源一郎

まことに失礼なことながらこのかたを見るたびに「そらまめに似ている」と思ってしまう。

そらまめ、あたし自身はすこぶる好物なのである。茹でてみれば窮屈な皮のなかはホクホクとまことに心安らかなるあじわいではないかとひとり思っている。

その類似は高橋氏の顔の輪郭からの連想なのだが、このかたもけっこう分厚い皮を身に着けておられるような気もする。つまりシャイなおかたである。まあ、一筋縄ではいかない感じといえなくもないが。

私は1999年にもこの「夏の文学学校」に参加した。その時も高橋氏は演壇に立たれた。立たれたのであるが、遅刻をされた。あとにもさきにも、遅れたのは高橋氏だけだった。

真面目で小心そうな係りの方がやきもきしていた。離婚をされたころだったのかもしれない。

氏の出番はプログラムの最終講義だったのだが
「太宰治」について語られたお話のことなどちっとも覚えていないのに、その時おずおずと出てこられた氏が着ていた黄緑色のチェックのシャツのたくさんの皺がどういうわけが記憶に残っている。

今回のテーマは「『歩く人』漱石」だった。明るい表情で、落ち着いた足取りであらわれた氏は紺のブレザーをお召しで、なんだかほっとする。

高橋氏はずいぶん負けが込んでいるという競馬のお話のあとこんな発見をしたんですよ、とにんまりして言った。

「作家は読者の見失ってしまったわたくし、失われたアイデンティティ、を読者になりかわって一生懸命に探す私立探偵である」と。

都市生活を送る労働者たちがその余暇の自由な時間に自分を再発見しようとする。そこで漱石と読者が遭遇するのだ。作家漱石は私立探偵となり東京の街にでて、そんななくしものを捜し求めて歩き続けるのだ、と。

田舎で目的もなくぶらぶら歩いていたら、不審者であるが都会ではひとびとはぶらぶら歩きながら考えるのだ。深い深いことを考えるのだ。
自分はどこからきてどこへいくのかと問いながら歩くのだ。だから、ここからあそこまで、などと答えてはいけない。もっともっと遠い遠いところを見つめて歩いていくのだ。

ちょっと歩幅を大きくしたかえりみちでありました。

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Wikipediaより

高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1951年1月1日 - )は、日本の小説家、文学者、文芸評論家。明治学院大学名誉教授。
散文詩的な文体で言語を異化し、教養的なハイカルチャーからマンガ・テレビといった大衆文化までを幅広く引用した、パロディやパスティーシュを駆使する前衛的な作風。日本のポストモダン文学を代表する作家の一人である。

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2003年7/28〜8/2まで、東京・有楽町よみうりホールで開かれた日本近代文学館主催の公開講座「第40回夏の文学教室」に参加し「『東京』をめぐる物語」というテーマで、18人の名高い講師の語りを聞きました。

関礼子・古井由吉・高橋源一郎
佐藤忠男・久世光彦・逢坂剛
半藤一利・今橋映子・島田雅彦
長部日出男・ねじめ正一・伊集院静
浅田次郎・堀江敏幸・藤田宣永
藤原伊織・川本三郎・荒川洋治

という豪華キャスト!であります。

そして17年が経つともはや鬼籍に入られたかたもおられ、懐かしさと寂しさが交錯します。

その会場での記憶をあたしなりのアーカイブとして残しておきます。


読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️