ふびんや 37「闇坂(くらやみざか) Ⅰ」
シンと冷える寒さが町を包む。暮れの商店街に人通りは絶えないが、どのひとも押し寄せる冷気から身を守るように背中をまるめ、挨拶代わりに今日の寒さを口にする。
朝早くから顧客である清岡宅へ古道具をもらいうけに行っていたあずは、昼前にもどってきた。そのころようやく太陽は師走の空に顔を見せたが、気温はさほど上がらない。冷え切った空気は、ここいら界隈のみなれた景色の輪郭を少しずつ削り取っていくようだ。
身を縮ませて「オー、さぶさぶ」とコート姿のままストーブに手をかざして暖を取るあずは、寒さのせいか、いささか顔色が悪い。そのあずに、思いっきり熱うしてんか、と所望されたココアを手渡しながら、ひながブツブツと文句をいう。
「あのさ、大きいつづら頼む、ってメールしたんだけどさ、あれ、見なかったの?」
「あ、みたみた」
「で、持って帰ってきたの、それだけなの? これだけじゃフリマに出すには足りないと思うけど……」
あずのカートに、荷物がたったひとつしか入っていないことに文句を言っているのだ。
あずは、まあまあ、そんなにあわてんでもええやん、とひなを制して湯気の上がるココアをゆっくり味わう。体の内外からじわじわと暖まって、そそけだっていた顔にほんのり血の気が戻ってくる。ようやく人心地がついたようだ。
「そっちのつづらは、明日、宅配便で届くさかいに心配せんでもええ。フリマで売れそうなん、たんともろといたさかいに安心しい」
「あ、そうなんだ、よかった。あのさ、フリマのこと、あかねちゃんもいっしょにやってくれるって。あかねちゃん、客扱い上手だし、うまくいくんじゃないかな……」
材料はああしてこうして、こんなの作って、と熱心にプランを語るひなを横目で見ながらあずはカップを置き、大きく伸びをした。それからおもむろに持ち帰った荷の梱包を丁寧にほどきはじめた。
「まあ、それより、これ、見てみ」
あずの言葉にうながされるようにあらわれたのは古びたお雛さまだった。もはや模様が色褪せ、古色蒼然という言葉がぴったりくる十二単衣は、この人形がどのくらい長い時をこの世で過ごしてきたかを教えている。その生まれは、明治か、あるいはその先の時代まで遡るかもしれない。
「これって・・・・・・」
ひなは一瞬息を飲む。胸の辺りを一撃されたような痛みが走った。右手の掌を胸に当てたまま、動けなくなった。気がつくと頬に涙が伝っていた。
「…・・・泣けてくるやろ?」
そう言ったあずの目もやはり潤んでいた。
人形は媚びることのない凛とした顔立ちだが、その細面のそこここが汚れている。青白く見える頬にこびりついた黒い筋のようなものが、品のよい表情を寒々しいものに見せる。爪で型をつけたような目の縁からは、なにかしら冷たいものが溢れ出てきているようで、この世のものでありながらそうではないような風情が、見るものの思いを一瞬凍りつかせる。
乱れほつれたおすべらかしの髪の上に載る金色の髪飾りは、邪険に扱われたのか、押し付けられたようにいびつになっている。かつてはきらびやかに輝いていたのだろうが、その輝きは失せはて、めぐりめぐってやってきた「ふびんや」の灯りをあびて、申し訳のように鈍く光り返している。
「はーあー……ほんとに、上手く言葉にならないんだけど、なんだか、たまらないね……」
胸に居座るものを吐き出すような、ひなの深いため息が人形を包む。
「これ見て、こわいっていうひともいるやろけど、それも痛々しいことやな……はー」
小首を傾げ、頬に手を当て人形を眺めていたあずも、伝染したかのようにため息をつく。