老いた功労者
村上春樹さんの短編にこんな台詞があった。
「短編小説という形式は、あの気の毒な計算尺みたいに 着々と時代遅れになりつつある」
この計算尺という言葉を久しぶりに目にした。
わたしは算数がとても苦手で、繰り上がりさえ忘れてしまいそうなおバカさんで計算尺というしろもの、見た覚えはあって、手にしてことも記憶にあるのだけれど、そう、なんか白くて数字がいっぱい書いてあって透明のカーソルみたいなのが動いて・・・そこに答えが出る!だったとおもうのだけれど、どんなふうに使ったのかが思い出せない。きっと当時もわかっていなかったのだろうと思う。
検索してみるとこんなふうに書いてある。
「1633年、イギリスのオートレットが発明した計算具。 乗除算は、対数計算では加減算で処理されることを利用し、 対数目盛を付けた物差し2本を相互に滑らせて乗除算や、 関数計算をする。 この計算尺は、19世紀になって急速に普及され、 わが国に導入されたのは明治27年(1894)である。 しかしながら、携帯用デジタル式関数計算機が 普及されたことにより、現在は姿を消してしまった」
そうなのかあ、と感心しながら、いつのまにか老いてしまった人の後ろ姿を見てしまったような気分になってしまう。
進歩の矢印の方向ばかりみてると気づかないけれど、振り返ってみるとそんなふうに忘れ去られているものがたくさんあるのだ、と気づく。
忘れ去られてはいるのだけれど、それはかつてなじんだものだったりもするから、現在と過去の両方から手を引かれているようで落ち着かない。
今日骨董屋でたくさんの古いものを見た。どれもけっこうな値がついていた。
そこで、そうかあと思った。どーんと時代が流れたら、計算尺にもまた違った光があたるかもしれない。
いや、あたらないかもしれないのだけれど、その可能性があるかもしれない思うとなんとなく落ち着てくる。
計算尺ってなんだかうまく時流に乗れなかった年老いた功労者という感じがしてならない。
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そう思ったのは15年も前のことなのだが、この功労者はもっと埋もれてしまったようだ。
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