先生たち 4 えこひいき先生

人数が少なく、クラス替えのない小学校の4・5・6年の担任はずっとおなじ先生で、そのひとは「えこひいき」名人だった。

卒業して長い時間が流れたというのに、クラス会て集まると、あたしたちはそのえこひいきを苦々しく思い出す。


なんと露骨なえこひいきだったことだろう。それは教師によるいじめだったのかもしれない。

有力な親がいる子といない子で扱いが違った理不尽な教室。

そのころ、小テストの採点は答案用紙を席の隣り同士で交換してすることになっていた。

お母さんがPTAの副会長をしていたTくんと、国道沿い小さな食堂の息子である「チャビン」というニックネームの子が隣り同士で、採点しあった。

Tくんは手の中に消しゴムと小さな鉛筆を隠し持ち、チャビンが採点した答案用紙の自分の答えを正解に書き直し、「ココ、あってるじゃないか、ここも、ここも」とチャビンに詰め寄った。

「チャビン」はあまり成績のよろしくないタイプの子だったので、自信がなくていわれるままに点数を書き直した。

当時クラスでは「たいへんよくできました」というハンコを推した栞のようなものが、100点取ったり、いいことをした子に与えられ、その栞を5枚ためると小さな賞状がもらえることになっていた。

そんなふうに競わされていたからか、Tくんの100点が続くの不審に思った子がいた。「さとやん」だったか、「てるさん」だったか覚えていないが、採点のときの一部始終を観察し、その顛末をみなに告げた。

クラスのなかでTくんの評判は地に落ちたが、その場でセンセイがしかった記憶がない。「チャビン」はいつだってみんなの前で大声でしかられていたのに。

のちに「チャビン」は

自分は人間あつかいされてなかった。

と言った。

教室の正義は状況で変わった。そんなふうに変わるものなのだという諦めに似た思いを小学校の教室で味わった。

そして、のちに「まゆみちゃん」におしえてもらったことだが、

ある時、クラスから選ばれたそのTくんの絵がどこかの公募展に入選したことがあった。朝礼の時、Tくんは晴れがましく紹介され、賞状を渡された。

後日、その絵が学校でも展示されたのだが、それはTくんの作品ではなく、「たかしくん」という絵の上手い子が描いたものだった。

「たかしくん」のお母さんは早くに亡くなっていた。PTA副会長の息子と、母親のいない子の天秤は傾き、担任は応募する時に二人の作品をすり替えたのだった。

違う名前のついた自分の作品を見た「たかしくん」はその翌日学校を休んだという。

「まゆみちゃん」はお寺さんの娘さんで、お父さんは定時制の学校の先生もされていたこともあり、とても正義感の強い女の子だった。

そのときの「たかしちゃん」の経緯をみて、こんな可哀想な子を守ってあげる先生になろう、と「まゆみちゃん」は決意した。

その10年余りのちに「まゆみちゃん」は小学校の先生になった。

えこひいき先生のことをあまり思い出したくはないけれど、反面教師という言葉を聞くと、浮かんでくるのはこの先生のことだ。

あたしたちはあの3年間、否応なく大人の世界の縁を歩かされていたのかもしれない。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️