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mayumiさんのこと
大好きなピアニストの友人と素敵なお店の思い出
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年若い友人に会いに吉祥寺へいきました。吉祥寺は彼女の育ったところでもありました。こちらは不案内な土地なので、頼もしくそのあとに続きました。
今は別のところに住む彼女のくりくりとかわいい眸には、現在の風景と遠い日のものがダブります。
高い建物がなにもなくて、パルコのあるあたりではたまごの量り売りをしていたそうで、おばちゃんがおがくずのなかから赤玉をとりだして、何個でも計ってくれるのでした。
なかまち通りというのは昔は寂れていて、そこに店がでると必ずつぶれるというジンクスまであったとか。
そんな話を聞きながらその通りの地下にある「南天」という居酒屋さんに入りました。こじんまりとした家庭的な雰囲気のお店です。
かつてアニメのお仕事をしていたという、すこし儚げな女店主と、色白で長髪をきちんと束ねたにこやかな若い男性のふたりが、狭いカウンターのなかで立ち働きます。
彼女と会うのは一年ぶりでしょうか。尾山台の田園のオヤジさんを交えて大いに盛り上がったのでした。
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〜それは2007年6月のこと〜
出会った瞬間に構えがほどけてしまうひとがいる。今までにも何人かそういう飾りのない .こちらのこころとろかす魔法使いのようなひとに会ってきた。
12日の夕刻駅の改札口であったそのひとも そんな笑顔の持ち主だった。
貸切状態になった田園のおやじさんの店で、そのひととおやじさんと三人で 、美味しいホヤなんてつまんで 、話は文学から芸能から江戸っ子の粋にいたるまで 多いに盛り上がり
例によってなんだかいっぱいいっぱい驚いて (おやじさん、浅草の新門なんとかさんと友達なんだとか) いたく感心して、しかも笑いころけて、もうもう気持ちよく酩酊で、それからなにを話したかも定かではないのだけれど
新たな文袋に冊子を入れたのを渡すと、そのひとが大事そうにそれを胸に抱いてくれたこと、なんだかそれがものすごくうれしかったことは忘れない。
ひとつのことに打ち込んできた人の目線の高さ、視野の広がり、気持ちの潔さに打たれた時間だった。
帰り道、わたしの足は千鳥足だった。 ふわふわしながら 「いいおんなだねえ~」なんて独りごちていた
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そしてこれが2回目です。
夏の始まりの頃からのお約束でした。「夏の終わりに会いましょう」と。ずっと楽しみにして待った時間でした。
年は離れているのに、そばに居て、とても居心地がよくて、何を話してもなんだか愉快で笑顔になります。
ビールで乾杯して一口飲んで「くー、おいしい」と唸り、そのことをふふふ、と笑いあって
兵庫出身だという女店主の作る、てんでだけどどれも古風な食器に盛られた、秋刀魚の塩焼きや鳥皮のから揚げ、卵焼きにエリンギとえのきのてんぷらを、ふたりで分け合って、思わず「おいしいー」と声をあげ
彼女は焼酎をわたしは冷酒を、心地よくくくくと空け、最後に稲庭うどん風のジャージャー麺をいただいたのでした。
それらもとても美味しいものでしたが、なにより音楽に携わっている彼女のこれからの活動への美しい決意がわたしにはご馳走でした。
彼女の指先まできっちり力が行き届く感じの手を見て、その手が切り開いていく世界を思い、彼女の希望が叶うことを願いました。
すごいすごいと感心し、がんばれがんばれと応援する。そんなことしかわたしにはできないのだけれど……,
かわいいひとなのです。媚びるかわいさではなく純なかわいさ。
人生のどこかで大きな失くしものをして、うつむくこともあっただろうけれど、それでもすっくり背骨を伸ばして自分に出来ることを探り当てて、その道筋を辿っていく、その姿に感動します。
彼女はあたしがブログに書いた言葉に、何度も励まされたと言います。こころに残る言葉がいくつもある、と。
それはなんともうれしいことでした。自分の為していることの意味が少しはあるんだって、言ってもらったような気がしたのでした。
ふたりで食べた秋刀魚、わたしが食べ散らかしたあと、彼女はとてもきれいに食べました。彼女のあたりまえが好ましく思えたのでした。
酔いが回ってきて、何を聞いて何をしゃべったのか、記憶も定かではないのだけれど、言葉を交わすほどになんだかうれしくなってくるのでした。もっともっとと思うのでした。
お開きにして駅のホームで別れるとき、電車に乗ったわたしに向かって、彼女は90度のお辞儀を何度も何度も繰り返すのでした。
走り始めた電車から見つめるその姿が胸に痛くて
涙が出そうになったのでした。
そして
「わたしはあなたがだいすきです」
そんな言葉をつぶやいたのでした。
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〜そして、南天のこと〜
かすみがかったような色彩のその葉書には、地下の店に続く細い階段の前で、頭を下げるエプロン姿の女店主の写真が映っている。
足元のあたりに、こちらはくっきりとした文字
「閉店いたします」
「今年15年目を迎えましたが、七月十九日をもってら閉店いたします。永らくお世話になりました。皆様本当に有り難うございました」
と言葉が続き、店主と従業員の名前がある。
店の名前は「南天」。ありかは武蔵野市吉祥寺本町2-10-2
そう、そこは、年わかい友人Mさんに連れて行ってもらった店だ。
Mさんの思い出がたくさん潜んだ店。そこが閉店する。なくなってしまう。さぞかし残念なことだろう。彼女からお誘いを受けて出かけた。
地下の店の引き戸をあけると、この前来たときと同じように、さらりと常温で迎えられた。
あのときのように従業員のカズさんが注ぐ美味しいお酒と女店主の手になるご馳走をいただいた。
万願寺唐辛子とじゃこの煮物、卵焼き、鶏肉とたまごの煮物、鮭のハラス・ピリ辛の焼きソバ……だったかな。
目の前に、ガス台に向かう女店主の背中が見える。前かがみになる細いからだ、小さく動く細い腕。無駄のない動線。迷いのない動き、手順。
その背中を見つめながら、15年という時間を思う。そして「もてなす」ということを思う。
「おいしいものを食べさせてあげたい」
そんな声が聞こえてきそうな背中。寄りかかったり媚びたり御愛想したりしない背中。
細い腕がすっと差し出すひと椀、ひと皿がおもてなし。
そしてカズ君のまっすぐな目線、ほのあたたかな笑みとうなづきもまた、この店のおもてなしなのかもしれない。
「これから、どうなさるんですか?」
それを訊いてどうなるものでもないのだけれど、たった2度しか来ていないのに、それが気がかりだったりする。マイナスのことばかり考えてしまう。
「なにしましょうか。
まだ、なにも考えてない・・・」
それがふたりの答えだった。ふわりとした言葉だった。
閉店までの日々は、ここまできた時間を振り返る
ふわりとした時間であるのかもしれない。
飲むほどに、Mさんとの会話は盛り上がり、なんだか幸せだなと思ったりした帰り際、でも、この店はもうなくなってしまうのだと思い出し、首筋のあたりがひやりとした。
「2度しか来てないのですが、ありがとうございました」というと「ああ、覚えてますよ」と店主が言った。
ああ、そういうお店なのだと改めて思い、なのに、なのか、だから、なのかわからないが、もうすぐ、このお店はなくなってしまう。
また、どこかでこの赤い南天の実がなればいいなあ、と思いながら、地上への続く階段を登った。
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2020年からのコロナ禍で、この世界で、どれだけのお店が閉じただろう。
ひとの営みが否応なしに押し込められてしまったこの長い時間に、たちいかなくなった経済はたくさんの地図を塗り替えてしまった。
それぞれの大切な思い出を抱えたまま、なくなってしまう空間。歴史はそんな繰り返しだし、ひとは、そんなふうに生きてきた。
時が経てばその土地にまた新しい歴史が重なり、記憶は薄れていくことだろう。そういうものだ。
でも、せめて、の思いで、あたしはこんな言葉を残しているのだと思う。
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