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ざつぼくりん 19「ダンゴムシの避難訓練Ⅳ」
「その古書専門店の名前はね、雑木林って漢字をかいて『ざつぼくりん』って読むのよ」
「へんなのー。それってよみまちがいじゃないの? なんでそんな名前にしたの」
絹子を見つめる華子の瞳が少し動く。誰だって「ざつぼくりん」の謎は知りたくなるものだ。
「ね、へんでしょう? でもそのわけは誰も知らないの」
「お店のひとに聞かないの?」
「お店のひとはカンさんっていうんだけど、聞いても『さてね』って答えるだけなの」
「カンさんてどんなひと?」
華子のなかで次々に疑問がわいてくる。カンさんは会う前から華子の気持ちを動かす。
「説明がむずかしいひと。でも時生さんもわたしもカンさんのこと、大好きなの」
「なんで好きなの?」
「それも説明がむずかしいの」
「ふーん、よくわからないなー」
古い木造二階建ての一軒家の前で絹子が足を止めたので、華子がいぶかしがる。
「おみせやさんへいくんじゃないの?」
それがここよ、と絹子が言うと、えー、と華子が驚く。
「あ、やっぱり木札が出てる。『本日は地獄めぐりです』だって」
「えっ、地獄?」
「これはね、今日はひとに会いたくないって意味なんだって。ね、華子、カンさーんって大きな声で呼んでみてくれない?」
なんで、わたしが呼ぶの、と華子が抵抗する。
「だって、わたしは妊婦だからそんな大きい声出したらふたごがびっくりするから」
そうなの? しかたないわね、と観念して、木戸の前で華子は大きく息を吸い「カンさーん」と呼ぶ。なんだかへろへろした声だ。あまり食べていないのだから仕方がない。
「もっと大きな声ださないと聞こえないわよ。木戸を叩いてから、カンさん、あそぼー、って言ってみて」
そんなのはずかしい、といいながらも華子は木戸を叩き、大きく息を吸う。
「か・ん・さーん、あ・そ・ぼー。か・ん・さーん、あ・そ・ぼー」
今度は力が入った声だ。木戸の前でふたりは耳をすます。からんからんと下駄の音が近づいてくる。華子の目が光る。ぎぎーと木戸があいて、坊主あたまであごひげを生やした作務衣すがたのカンさんが現れる。
「ははあ、やっぱり、絹子さんでしたか」
とカンさんが苦笑交じりに言う。
この古書専門店の顧客はかつて研究職だったような、ものしずかな年配のひとが多い。木札に書かれた過激な文言をまったく無視して、「カンさん、あそぼー」なんていうのは絹子ぐらいものだ。
華子はなんだかあっけにとられて固まってしまっている。その様子に気づいてカンさんが問う。
「おや、こちらはどなたですか?」
「こちらはべっぴんの華子よ。華子、このひとがカンさんよ」
「べっぴんの華子さん、はじめまして。ああ、ほんとうにべっぴんさんだ」
カンさんは十歳の少女をまぶしそうな目で見つめ、例のごとく丁寧な言葉で話す。
「あ、はじめまして……あ、あの、カンさん」
おずおずと華子が挨拶する。その言葉を聞いてカンさんはニコリとする。
「華子さん、ちょっとお疲れのようだが、だいじょうぶですか?」
「あ、はい」
「さ、どうぞ。むさくるしいところですが、おはいりください」
天気が悪いので今日は玄関から入る。薄暗い玄関で二宮金次郎の像に驚き、廊下に置かれた本の山にぶつかりそうになりながら、華子は絹子のあとをついていく。
湿気を帯びた空気が満ちるふた間続きの部屋には本棚が並び、棚にはいりきらない本だの掛け軸だの額だのが今日は一段と無造作にそこここに放り投げてある。
勝手知ったる絹子はさっさと縁側の籐の寝椅子に腰を下ろす。しばらく部屋のなかでものめずらしそうにきょろきょろしていた華子もそのそばにぺたんと座る。
「絹子さん、ふたごちゃんの調子はどうですか? 腰は大丈夫ですか?」
「うーん。ふたごは元気だけど、わたしは大丈夫じゃない。腰はどーんと鈍く痛いの」
「おお、それはおかわいそうに。まあ、お茶をどうぞ。華子さんも」
カンさんは寝椅子の絹子には茶托ごと渡し、華子の分は盆ごと廊下に置いた。
「あ、ありがとう。あのね、このべっぴんの華子はわたしの姪なの、よろしくね」
「べっぴんなんかじゃないもん……」
華子が口の中で反論する。
「いえいえ、べっぴんさんですよ。華子さん、よろしくおねがいします。今日はおそろいで、どうしました?」
「どうもしないけど、遊びにきたの。はい、これはおもたせ。プリンを作ったの」
「ほほー、それはありがとうございます」
「それ、すっごくきれいな黄色なんです。卵が違うんです。ゆうせいらんでお高いんです」
よほどその言葉が気に入ったのか、華子が得意げに言葉を挟む。
それを聞いてカンさんが包みをのぞく。
「ほんとに鮮やかな黄色ですね。山吹色に近いですね。有精卵ですか。それはいのちをいただくのですから、元気になりますね。おふたりとも、今食べますか?」
「うううん、わたしは食べてきたからいいわ。華子はどうする?」
「……どうしようかなー」
「とりあえず冷蔵庫に入れてきます。食べたくなったら言ってください、華子さん」
カンさんの後姿を華子は食い入るように見つめ、おおきなため息をついた。
どうしたの? 華子、気分が悪いの」
「なんでもない」
「うそ、なんでもなくないって顔に書いてある」
「なんでもないもん」
「そう、じゃ、カンさんに華子はカンさんに一目惚れしたみたいっていっちゃおう。華子、そんな顔してるもの」
「もうー、絹子さんたら……あのね、カンさんて、ちょっとはなぶさに似てるの。うちで飼ってたねこ。このあいだ死んだの」
絹子の家にきてからはじめて、華子は死んだねこの話をした。
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