コトリ
コロナなど存在しない頃にも、空欄ばかりの予定表をみながら思っていた。
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あたしの気分に問題があるのだろうな。多くのことに積極的になれない自分の根っこには、あらゆる勝負に負けてしまったような気分を抱えてるかんじがあるわけで。
億劫という気持ちはどこからくるのだろう。
自分が自分を好きになれないとき、そういう気分になるのかな。あるいは世の中に対する安心感がなくなるからかな。
やっかいな倦怠感と厭世の気分を拭うことができないまま、ぼんやりとした日を送る。
そんなふうに、なんだか弾まぬこころのままに日を送っていると、不義理ばかり重ねてしまう。お誘いを断ることのこころ苦しさより出かけたくないという気持ちのほうが大きい。
定期的に会って旧交を温めるというお付き合いをしているひとたちとの距離がどんどん広がる。広がれば広がるほど、次が気まずい。
一日は一日で、それぞれに平等に与えられているのに、ひとびとは一歩を重ねてどんどん前に進んでいくのに、そのことに焦りながらも、わたしはずっとぼんやりここにいる。
が、「コトリ」と音を立てるように、何かが動き始めることもある。
そしたら、ドミノ倒しのように、どうあれ、少しずつ予定表が埋まり始める。こころ踊る用事ばかりでもないのだが、それでも行かねばならぬと思えば、はらをくくって出かけることになる。
そうこうしていくうちにリズムが生まれて、不義理を解消しに出かけるかもしれない。
そしたら、面白いこと言って、だれかを笑わせることもできるようになるかもしれない。
そう、億劫のなかで、いつもいつも、そんな「コトリ」を待っているんだな。
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