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素材の気持ち
文袋として書き残した文章。
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TVのインタビューで、パティシエの辻口さんが答えていた。
「素材の気持ちになってスィーツを作る」
その素材がどうして欲しがっているか、を考えるのだ、と。
ほほうと感心する。
料亭「菊の井」主人の」村田吉弘さんの「京料理の福袋」という本にもよく似たことが書いてあった。
料理に関しての、亡き父親や中東吉次さん(美山壮主人)言葉でもある
「ほんまにやりたいことか?」
「材料は喜ぶか?」
それが、村田さんの指針の二本柱なのだ、と。
そして新しい料理の発想は、いろんな素材に日ごろから触れて、考えて、何故だろうと疑問を持って、それを解決することを重ねて、だんだんにその素材に精通してはじめて、ひらめくものだ、とも。
「総てが関連をもったときに、
目先ではない素材のアレンジができ
なにが必要なのかもわかるようになる」
なるほど~、と感心しながら、我が身を振り返る。
文袋の素材は手拭いや着物地だ。それらが喜ぶように作れているのか、と自問する。
形はどうだろう。もっといろんな形に作って欲しがっているだろうか
組み合わせる持ち手の色や裏地の柄のことを気に入っているだろうか。
こんなのダサくて嫌じゃ!と唸ってるのもあるかもしれない。なんでこんなのといっしょにするの~と、文句垂れてるものもあるかもしれない。
布が好きでいつだって触れていたいと思うから、だんだんに素材の気持ち、わかってくる・・・といいなあ。
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文袋として活動するなかで、たくさんのクリエイティブなひとと出会った。すごいなあ、とうなるような力量のひとたちのなかで、そのオリジナルの力を実感していた。
無から作り出すすごさ。人間のどこか奥深いところに蓄えられた感性が吹き出すかのように、真っ白なキャンバスに立ち現れる世界。そのひとにしか描けないもの。
放っておけば永遠に何ものにもならないもの、例えば土塊が練られて象られ焼かれ色を纏い、やがて他のどこにもない器や像となる。
一本の糸が編み重なり、あるいは縦と横に交差して織り上げられ、色を得、形を得、いつしか用をなすものとなる。
カッコイイ。
が、文袋は言ってみれば布頼みで、それは布を作るひとのオリジナリティのうえに乗っかってるようなもので、他人の褌で相撲を取る感がずっと拭えずいるのだが、
パティシエや料理人と素材との関係を考えて、彼らが素材を一から作るわけにはいかないのだから、見極めのちからで選びとり、組み立ていく過程に独自性が現れるのだと思い至る。
選びとり組み立てる過程のオリジナル。目指すのはそこだ。
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