はぐれのだんな
それは、いつも、かえっていくところ。
*****
息子1が聞いた。
「五尺三寸の糞ひり虫ってなんだったっけ?」
「そりゃ人間のことだけど、何にあった?」
「いや、むかしおかあさんに聞いたのを思い出して……」
その昔、若いおかあさんだったあたしは、自分の思い出の中のその言葉を君に教えた。この言葉を呪文のように唱えた時期もあった、と。
それはジョージ秋山氏のコミック「放浪雲」のだんなの台詞だ。
遠い日、そう、十代のわたしが人生を教わっただんなだ。
はぐれのだんなはあこがれだった。そんなふうに生きたいとおもっていたのだ。
みんなといっしょがいいのに、どうしてもはぐれてしまう自分を、どうしようもなく持て余していたころのことだ。
彼我になんの違いがある?同じ五尺三寸の糞ひり虫じゃないか、そう思った時の自分。
そこがあたしのはじまりではなかったか。
長く生きるとそんなはじまりこのことも忘れてしまって人生にたくさんの注文をつけてしまう。ああであれかし、こうであれかし、と。
いつかしら、自分がなにかしら特別なものになれたような気がすることもあるのだけれど、いくら傲慢ぶちかましても、なにがどうあっても五尺三寸の糞ひり虫なんだよね。
上手く生きても生きなくてもわたしたちは五尺三寸の糞ひり虫。
むなしい言葉としてではなく、それは等身大の自分にかえる言葉。
障害走のとびきり難コースに思えるレーンに立つ息子1がふっとそんなことを思い出す。
そうさ、君もあたしも、この世に生きるほかの誰もが、五尺三寸の糞ひり虫。そこんとこはみんなおんなじ。なんもかわらんよ。
限られた時間のなか、どうあがいても抜け出せないひとのかたちなんだよ。そこは平等ですらある。
だったら、と思案することが、始まりだ。それがしあわせのいとぐちさ。
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