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はやりやまい・らぷそでぃー

*父、倒る〜波が来た


2023年4月29日土曜日、心弾むゴールデンウィークの幕開けの日に、家人が「しんどい」と言い出した。こころなしか顔が赤い。

「熱なんじゃない?」と測ってみると37度越えだった。なんでこんな日に、と思うが、とりあえず家にある解熱鎮痛剤を飲んで休んでもらう。

その夜、最高39度まであがったとき、ぽつんと「流行り病かもしれない」という。

案の定、5月1日月曜日にかかりつけの内科で、ビンゴ!といわれてしまう。

自慢ではないが、我が家は「わけありのひきこもり家族」だ。家人は定年後毎日が日曜日のひとだし、ここのところあたしは腰痛を抱えているので家にいる。

だから罹患率はすごく低いはずの家庭なのだが、流行り病の波は来た。なんでやねん?と思うが、家人は買い物に行くのが日課なので、たぶん、その行き先のどこかで貰い受けてきたのだろう。

しかし、これまで無事で、ずっと同じ暮らしをしてきて、なぜ今なのか。

こんな素敵な春の祝日に、というのもあるが、世の中に流行り病は終焉!みたいな空気感の漂う今、ロシアンルーレットのシリンダーの最後の銃弾に当たったような不運だなと思ったりする。

ここ京都には、観光目的で、国内外からマスクなしの人が集まっている。禍いから解き放たれた人々の行列だ。が、赤字の市交通局が観光客激減したおりから急行バスを廃止したままだからか、市民の普段使いのバスがやたら混む。

おおよそ京都のバスはどこでもそうだが、うちが使う路線にも名のあるお城やら神社やらがあって、ドアが閉まらないほどの混雑だったりする。

これではまた波が来るだろうとは思っていたが、その波がまさか我が家を襲ってくるとは……。他人事が自分事になったわけだ。まるでトホホだ。

横浜の友人みどりさんに、ことの次第をメールしたら、返ってきたのがこれ。

まあ、人生色々起きるものですね。

言われてみればその通りなのだが、ことの最中では、自分がババ抜きのジョーカーを引いた間抜けのように思えてきたりもする。そことここは遠いよ。
 
ひとり発症するとのこりの家族は濃厚接触者というレッテルがつく。禁足だ。つまり強制ひきこもりだ。われらは名実ともに外に出られない家族となった。

夫婦と片付かない息子二人という家族構成のわれらは、転勤族だった家人の定年にともない、この病気が流行る直前に、家人の実家のある京都に引っ越してきた。

家人は中学から私立へ行き、大学は二年地元の学校に通ったが、後に他の都道府県の学校に入り直し、卒業後はその地で就職したから、京都出身とはいえ、長いブランクののちの帰還だった。

また、家人はその母と二代続いての一人っ子で、その父は滋賀県うまれの婿養子で、あたしはあたしで少々訳ありで、要するに、濃いお付き合いの地縁や血縁がほとんどなく、加えて、自粛時期のせいでもあるが、みんなひきこもりの付き合い下手だから、こんな事態でも、残念ながら京都で何かお願いできる友人を作れていない。

いや単にお願い下手というのもあるな。京都弁でいうと「気がずつのうて」て感じかな。

西加奈子さんの「くもをさがす」の中で、病を得た西さんに対する心強い友人たちの支えは、本人の魅力もあるが、ある意味努力の賜物だと感じ入った。なんといっても普段の「おこない」がたいせつなんだな。

さて、これは助けの来ない被災者と同じだ。自らの力でなんとかせねばならん状況だ。サバイバーにならんといかん!。

家人が買い物が好きなのは、ポイントが貯まるのがうれしいからじゃないかな、と思うのだが、毎週、ドラッグストアのポイントが倍になる日に計画的に日常品のストック分を含めて買ってきてくれる。おかげで除菌製品やティッシュ、トイレットペーパーは不安なく使えた。しみじみ、備えよ!常に!だな。

食べ物に関しては、幸い月曜は生協がくる日なので、注文通りの食材はある。乾麺類、缶詰やレトルト食品、水などの災害用の備蓄もある。工夫すればなんとかなる。災害ではないからインフラは使えるし、食材から献立を思案するのはクックパッドが助けてくれる。

しかし不安材料もある。やがて野菜や果物は底をつくだろう。緑のものがなくなって、根菜ばかりになっていくな。長男は野菜がないと不機嫌になるのだが……。

*兄、倒る〜不機嫌な日々

5月3日水曜日にその長男が発熱。ひきこもっていても家族内感染。もらっていたキットで同病だと判明。兄、お前もか!

連休中だということもあり、病院には行けず、解熱鎮痛剤を飲んで自室に籠る。以後はドア越し、あるいはスマホの会話になる。

食事やタオルなどを持って行って声を掛けても、いつも不機嫌な声が返ってくる。野菜不足か?とも思うが、具合が悪くて上機嫌なわけはない。

強制ひきこもりの日数が伸び、サバイバーはやりくりを思案する。やはり、野菜をなんとかせねば、と思う。

レオレオーニの絵本の「フレデリック」のなかの働き者のネズミたちのように、食べ物がなくなってくると、いろいろギスギスしてくるものだ。ビタミン大事。

引っ越してきて回数的に一番話すようになったひとは軽トラで移動販売をしている賀茂の農家の八百屋のおばさんで、毎週木曜日にやってくる。

その日もピンポンがなったので事情を話し、あれとこれと、と遠隔でおねがいして、なんとか、緑の野菜が調達できた。日頃の会話があって、助けをかりることができた。よかった。むろん支払いはした。そうか、お金のやりとりがあると、割り切ってお願いできるものなんだな。

ゴールデンウィークの予定が何もない我が家だったが、スィーツ好きの兄が、近所の老舗和菓子屋さんで、こどもの日に、ちまきと柏餅を予約注文していた。

支払い済みで当日取りに行く手筈だったが、兄は倒れ、われらは強制ひきこもり中でいかんともしがたく、配達をお願いした。

電話口ではそういうご事情なら送料は結構ですと言われた。が、うちまでは信号を2度渡るが徒歩200歩ほどだとわかったらしく、当日の午前中に門のハンドルにかけてあった。お手数をおかけして申し訳なかったが、これはサービスなんだと納得。

こちらのちまきは小倉餡入りで柏餅は道明寺だ。
美味しかった

この甘味にはさすがの兄も喜んだ。甘さは心を和ませる。

この和菓子屋さんはその昔、うちの町内に工場があった。当時家人の実家はお酒の小売業をしていて、乾き物を置く角打ちもしていた。

そこの和菓子職人さんも仕事帰りによく寄っていたらしい。甘味を作る人もお酒は飲む。毎年年末になると、その工場のあんこ番をしている職人さんから大きな四角に切り分けたあんこをもらっていたらしい。老舗和菓子店のあんこ。

「それでぜんざい作って食べてたわ。贅沢やな」と家人のおばあさんが言っていた。

さてもさても、具合が悪くない者も決して機嫌がいいわけではない。普通の家事に加えて、ふたり分の三食を二階へ運び、また下げて、洗濯物や体を拭く熱いタオルももっていく。これが疲れる。

あたしは袋物を作っているので、隙を見て、三階の作業場にも行く。階段を登って降りて登って降りて。その回数を数えると余計疲れる。

その上、病人は少し具合がよくなってくると、あれこれ持ってきて、とスマホで連絡してくる。こちらもやることが多いので、「いっぺんに言え!」とかいいたくなる。

かつて、家人は入院したときも、「あれを持ってきて、これを持って帰って」と、いちいち呼びつけられて、気がつくと毎日病院に通っていた。あのときも、ためてから言って!と思ってた。

今年は腰痛もあり、特に楽しい外出予定があったわけではないのに、こんな天気の良いゴールデンウィークにあたしはここで何をしてるんだろう、と思ったりしてしまうのは、やはり疲れているからかもしれない。

外に出られないから外のことを知ろうとネットを見ると、連休のおでかけの画像や動画があがっていて、楽しげなそこには行けない自分の境遇を思い知らされて、わかってるけど、やりきれなくなる。出ないのと出られないのはずいぶん違う。そことここはやっぱり遠い。

看病をたった数日しただけでこれだから、あたしは根性なしだな。老人介護などは数年単位でこれが続くんだな。頭が下がるが、あたしの根性は出てこない。どうにもたまらんので次男に手伝ってもらう。

次男は夕飯も作ってくれるし、片付けも一緒にしてくれる。きわめて有能な戦力だ。だてのひきこもりではない。ありがたい。


*母、倒る〜頼る日々

そうこうしているうちに5月7日の日曜日が来て、連休最後の日にあたしが発熱した。あたしは家事登録抹消組になる。

喉痛い、頭痛い、鼻詰まる、痰からむ、ゴンゴン咳出る。横になると痰がからんで咳が激しくでて、息が苦しくて眠れない。

訳あって左下顎の骨を切除して、再建していないので、口腔内が、いわばパラリンピック状態で、痰を上手く処理できず、咳をくりかえす。

ものの味はわかるが、鼻詰まりのせいもあって、匂いがよくわからない。悪臭しても気づかぬのはいいのか、わるいのか。

5月8日月曜日に医者にいくと、やはりビンゴ!でまたひきこもりが伸びることになるが、今日から五類です、と言われる。なんでも自宅待機期間が短くなるそうだ。

なんでそんな日にビンゴなのか。また、ジョーカーを引いた気分になる。あのな、こんな残り物に福はないぞ。

その日、生協が来たこともあるが、幸い家人が回復して、日数的にも外に出られるようになったので、足りないものは補えるようになった。とくに果物がありがたい。

災害用備蓄にはゆで小豆の缶詰ははいっているがフルーツの缶詰もあったほうがいいなと思った。子供の頃熱が出たら冷やした桃の缶詰を食べた記憶がそうおもわせるのかもしれない。

言ってみれば、ちまきや柏餅やぜんざいがそうであるように、食べ物にはそれにまつわるストーリーがあり、そのものを味わいつつ、いなくなったひとの思い出も懐かしみ、一緒に身体におさめて、ひとは豊かな気持ちになるんだろうな。

とはいえあたしの症状はひきつづき、寒気がしたり、大汗かいたり、ティッシュを一日一箱使うほど鼻をかみ、痰をだし、激しく咳き込み、へーへーしている。その激しさはなけなしの腹筋が痛むほどだ。みんなこうなのか?持病持ちの高齢者だからか?

ワクチン5回も打ったのにこの感じだとしたら、しむらさんやおかえさんやほかの方たちは、さぞかし辛かったただろうな。どうぞ安らかに。

眠れない夜中には、今年2月肺炎で逝った親友ムゲが寂しくてむかえにきてるのかな、なんて思いも湧いた。ムゲも苦しかったよね。もう少し待っててね。

そんななか次男が八面六臂の働きをしてくれる。

そんなあれこれは感動的で、へーへーしながらnoteのつぶやきに書き残した。

熱が高かった昨日の次男の作ってくれた夕飯。おかゆと大根やかぼちゃの煮物、青菜の煮浸しなど。時間をかけて作ってくれた。調子悪くて、その中で鯛のにゅうめんだけが食べられた。美味しかった。今朝はすりおろしリンゴと苺を持ってきてくれた。たくさんの心遣いに感謝するばかりだ。ありがとう。(5/8)

今日は寒いからと、次男がサーモカップに熱いお茶を入れて持ってきてくれる。

熱が上がる時の寒気が緩和する。

こんなふうに細かなところにまで気付く優しさに胸が熱くなる。優しさをカタチにすることをまた教わる。(5/8)

流行り病3日目、熱がさがって少し楽になったような気もするが、相変わらず咳がすごい。痰が絡んで苦しい。それでも、次男の作ってくれた昼食の湯葉入りきつねうどんはおおむね食べた。美味しかった。申し訳ないとも思うが、ありがたい。頼らせてもらう。(5/9)

あたしが発症してからは、掃除や洗濯も家人とともにしてくれる。ありがたい。ああ、しあわせものだな、あたしは。なるほど、やっぱり、しあわせはふしあわせのとなりにあるのだなと、かみしめる。

が、あざなえる縄のように事態は変わる。

*弟、倒る〜口惜しい日々

5月10日ついに次男も37度越えの熱を出す。唸りながら、のどが痛み、節々も痛むという。これはどう考えても推定ビンゴ!の症状だ。

より具合が悪くなった翌11日には病院で確定される。これにて、我が家は全て流行り病を経験済みだ。めでたくはないが、うちどめ。

滋賀県の友人は、ご主人が罹ってから、家族は感染するまいと家中のあらゆるものを必死で消毒したけど、結局罹ってしまったのだが、彼女はこう愚痴ていた。

あんなに神経と消毒用アルコールを使った挙句に罹るんなら、何にもしないでさっさと罹ればよかった。その方が早く娑婆にでられたわ

ああ、確かにそうかもしれないが、罹ったからこそ言える言葉でもあるな。出来ればかからずに終焉を迎えたかった。罹るにしても、今じゃなければよかったよ。

あたしのはかなりスカスカのスケジュール表なのだが、5月13日には毎月参加してきたギャラリーbe-京都さんでのイベント「町家手づくり百貨店」があり、翌14日はご招待された落語家さんの独演会がある。

どちらもすごく楽しみにしてたのに、行けない。五類になったから、日数的には大丈夫だけど、たくさんのひとが集まる場所だからご迷惑になってはいけない。加えて自分の体力に自信がない。残念だがしかたない。

一方、訳あってひきこもりつつ、家事を手伝ってくれている次男は、昨年11月から、IT関係の講義をリモート等で受けていて、資格試験の受験のため遅刻することはあったが、欠席することなく5ヶ月半続けてきた。5月13日が終了式だというのに、ここにきてのこの顛末。

なんということだろう。口惜しいな。ちゃんと最後まで受けて、なじみになったひとたちと対面する終了式に出席させてやりたかったな。

巡り合わせの悪さってあって、いつも割を食う人が決まっているような気がすることがある。

家人の父親は無口なひとだったが、ふっと「大正生まれは明治と昭和に挟まれて割を食ってる」と言ったことがあった。話を大きくした方が個人を傷つけないからそんな言葉を選んだのだと思う。

婿養子に入って、明治生まれの舅姑の圧をかなり受けてきたのだろう。戦争に行って生きて帰って、ようやく生まれた昭和生まれのひとり息子は家業を継がない。自分はなにをしてきたのか、そんな想いのこもったため息のようなひとことだった。

あたしは団塊の世代と高度成長の世代に挟まれた谷間の世代で、割を食うという実感はないけれど、どうにも自己主張の下手くそな世代だと思う。PTAの役員会でしばしばそう感じた。

そして、氷河期とかいう息子たちの世代もたいへんだった。無理ゲーをやらされてるようなものだったと思う。

いつどこに生まれるか、なんて選べるものではないから、そう言うものと受け止めて、誰しもなんとか生きていくわけだが、時に、理不尽じゃ!と天を睨みつけたくもなる。

転勤族の家族として、環境の変化と相違に戸惑い、強く自己主張することもなく、貧乏くじばかり引いてしまう自分の余波が、息子たちに及んでいるのだと悩んで、項垂れたことがたびたびあった。

心優しくあるには心強くなければならなかったのだと知るのが遅すぎた、と申し訳なく思うこともあった。

知人に「お祓いしてもらったほうがいいんじゃない?」と言われるくらい色々あって、まあそれでもなんとかここまで長く生きてみると、遠回りは理解の近道かもしれない、と思う。

転んだ傷跡の数は生きにくさの証しかもしれないけど、だからこそ、思うよ。ひとはね、自分の生きやすい道を行けばいいんだよ。ゆっくり行こう。

そんなわけで、その日の夕飯はお弁当だった。

ここのハンバーグは肉肉しい❣️

うちはみんなだいすき河村食堂。引っ越してきて一番に次男が見つけたお店で、ほんとにこんなとき助かる。

あたしは食欲があったわけではないが、ハンバーグだけは、完食した。頭の中で「長生きするひとは肉を食べている」なんてフレーズが打ち出されていて、なんとなく負けん気が出て、流行り病に喧嘩売るような気持ちだ平らげた。

結局長男は病院には行かず、そのせいかまだ咳が残っている状態で、どうにか十全に動けるのが家人だけとなるが、それでも家人も病み上がりで、さてどうしたものか。

あたしにできるのはとりあえず良くなるように努めるだけだから、肉肉しいハンバーグを平らげることは必然なのだ!はよ、治らんといかん!

*父、踏ん張る〜待つ日々

この数ヶ月、家人はなにかとやる気が出ない、と言っていた。まず、朝が起きられない。昼過ぎになってしまうこともあった。「布団の誘惑が」とか言う。若者か!?

やっと起きてもまた寝ていたくなるらしく、気がつくと、作業をやりかけのまま放り出して、ベッドに入っていたりした。年寄りなので疲れるのはお互いさまで、いたしかたないかなと思っていた。

それがこの非常事態で、家事登録者が激減して、父がやらねば誰がやる?シチュエーションになってしまったからたいへんだ。

この町内ではゴミは朝8時までにだす。そのため、父は7時前に起きる。こんな朝ごはんも作る。

三人にご飯を運んで片付けて、洗濯して、掃除して、買い物行って……。疲れたと言いながら、放り出さない。それあたしもやってたことだけど、どれも丁寧なので、なんだか申し訳なくなってしまう。

家人は料理教室で習った料理はうまく出来るのだが、非常に几帳面に作るのでかなり時間がかかる。70代男子が他の家事をやりながらでは、なかなかに大変だ。

それでもこんな夕飯を持ってきてくれる。

家人は料理をカンやひらめきで作らない。レシピを忠実に再現しょうとする。だから味がぶれない。特に焼き魚のあんばいが秀逸で真似できない。なにしろじっと見張っているのだから。

大学を受け直すとき、同じ過去問を3度やったらしい。それは確実なフィールドバックだと思うが、あたしにはできない。そういう根気強さのあるひとだから、ワンタスクを全うするんだろうと思うが、マルチタスクを求められると過労になる。うまく立ち回るカンやひらめきとも無縁だ。

「人生の色々」のなかで、我が家はみんなたくさんのことを諦めてきた。思い通りになる人生なんてないけど、巡り合わせの悪さや挫折の数が少なくない。

努力不足を棚に上げて、時代や他人のせいにするのはみっともないことだと思うが、報われない努力や他人の攻撃や圧力は、心優しきわれらをひきこもらせる。

平穏無事にいかなくて色々ある人生は、ふしあわせなのかもしれない。ひきこもって社会的に生きていないこともそうなのかもしれない。

でも、それでいいと思えばネガポジが逆転する。

ふしあわせのとなりにしあわせがあると思えば、ふしあわせのないことがふしあわせになる、かもしれない、なんて負け惜しみに聞こえるだろうか。

しあわせのカタチは自分が決めるのだと、いつも思う。世の中的にいえば、あたしのしあわせのハードルは低い。

家族が揃って美味しいものが食べられたら、それがしあわせ。

あたりまえの家族の食事も、揃って食べられない時間があるから、揃った時にしあわせだなと思う。ほら、となりにいる。

家人の作るご飯を食べながら、今は、みんながテーブルに戻れる日を待っている。















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bunbukuro(ぶんぶくろ)
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️