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ざつぼくりん 25「透明ランナーⅣ」
あの家の縁側から庭にむかって座って、足をぶらぶらさせながらスイカやトマトをみんなでいっしょに食べた。
あの夏、あの家で食べた物はごく普通の献立だったが、美味しかった。同じものを今食べてもなんだか違う味がした。あの銭湯で、あの家で、あの庭で、あの純一といっしょに飲んだり食べたりしたから、どれもあんなに美味しかったのだろうか。
あの家の柱のそばに風の通り道があって、そこだけひんやりした。僕はなんとなくそこに寝そべって本を読んでることが多かった。
「時ちゃんはネコみたいだね、涼しいとこよく知ってるねー」と、志津さんに言われたことがある。特別にほめられたわけではないが僕は少し誇らしかった。
そんなふうに、志津さんはいつも僕の思いがけないところをほめてくれた。「時ちゃんの眉はりりしいねえ、ほれぼれするよ」とか「ほんとに靴の揃え方がうまいねえ」とか。
他に褒めるところがなかったのだろうが、それでもどの言葉も僕の胸をあったかくした。ありがたかったと今にして思う。養護学校の生徒といっしょにいると、そのたいせつさを実感する。
僕は絵を描くのが好きだった。
「時ちゃんの描く絵はいいねえ。あったかいかんじがしてさ、おばさん、大好きだよ」
この言葉が僕を支えてくれた時期もあった。
陽炎が立ち上るアスファルトの道に純一とふたりで大きな絵を白墨で描いたこともあった。純一は町の絵が多かった。いろんな形をした窓のいっぱいあるビルを次々に描いていった。あいつが中学のときに建築家になりだいって言い出したとき、僕はあのアスファルトの絵を思い出した。
僕はそのビルと同じくらいのおおきなトンボやカブトムシを描いた。昆虫怪獣が町を襲っているような落書きが出来上がってふたりで大笑いをした。
大汗かいて遊んだあとは行水をして、風の通り道で昼寝をした。孝蔵さんといっしょに三人並んで寝たこともあった。孝蔵さんはときどきいびきをかいた。「とうさん、うるさい」と純一がどなると孝蔵さんは横むきになるが。その途中でおならしたりする。
純一が「くさいよ」と文句いうと、薄目をあけて、「でものはれものところきらわずっていうんだ、おぼえとけ」ってしゃがれ声で怒鳴る。
すると純一は、「そんなの百万回も聞いたからとっくに覚えてるよー」と言い返す。「じゃ百万一回目だと思って聞いとけ」と孝蔵さんが唸る。
そんな親子の応酬を聞きながら、うちでは考えられない会話だと、僕は驚いていた。
うちは夕食時に父が帰っていないことが多くて、当たり前のようにいつもテレビを見ながら食べていたが、純一の家では食事の時間にはテレビをつけなかった。
孝蔵さんは毎晩ビールを飲み、「今日はどうだった?」とその日の出来事を訊ねた。食いしん坊の純一は食べるほうに神経がいくのか、めんどくさそうに、「剣道」とか「疲れた」とか「虫捕り」とか、ひとことで答える。
「そうか、なに捕まえた?」と孝蔵さんが質問を重ねても「キリギリスとショウリョウバッタ」と短く答える。
「時ちゃんはどんな一日だった?」
孝蔵さんは僕にも訊いた。僕の答えはほとんど純一と同じだったが、本を読むというのが違ってた。純一はあまり本を読まない。
「どんな本をよんだんだい?」という問いに僕は本の題名を答えたはずだが、どんな本だったかあまりよく覚えていない。西遊記だったかもしれないな。だけど、「そうかい、時ちゃんは本を読んで、えれえなあ」と孝蔵さんが褒めてくれたことは覚えている。
志津さんは近所のおばさんが田舎のおみやげくれた話だとかお祭りの寄付の話だとかの合間に、僕たちがプールに行ったこととかが草取りを手伝ったこととか、その日の出来事を楽しそうに話した。
「時ちゃんたら、飛び石んとこですっころんじゃって、お尻うっちゃってさー、痛かったみたいなんだけど、見せてごらんっていってもはずかしがって見せないんだよ」
志津さんが笑いながら言うと純一が「いいだろ、もう、そんな話」と不機嫌そうに言葉をはさむ。それを聞いた孝蔵さんは気楽に言う。
「おう、そうかい、かわいそうに。おじさんがあとでみてやるよ。打ち身に効くいい薬があるんだ」
「とうさんもやめろよ。時ちゃん、困ってんじゃないか。それにあの薬、すごくくさいよ」と純一は文句をつける。
三人にそんなに気にかけてもらって僕はどうしていいかわからなかった。孝蔵さんも志津さんも子供の憂い顔を黙ってみていられないひとたちだったんだなと今になって思う。
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