たいせつなものの順番
そのひとは1950年生まれだった。東大入試がなかった年に受験して、早稲田の政経に入ったという才媛である。
専門学校の講師を経て大学院へ入り資格を得て、今は水戸のほうの大学のセンセイをしているらしいが、詳しいことはよくわからない。
横浜の朝日カルチャーのエッセイコラムの教室で出会った。その頃専門学校で文章術も教えていたそのひとはカルチャーで教わったことを自転車操業のように学生に教えていた。
何に対しても積極的で、ある意味貪欲で、いわゆる「いっちょがみ」体質のそのひとがどういうわけか、その対極にいるような片頬のあたしを気に入ったらしく、よく話したし、いっしょに出かけたりもした。
片頬になって間のないのあたしはそんなふうにまたあたらしいひととつながることができることに、安堵していた。
湘南のカルチャーに移ったときもいっしょだった。江ノ島や大磯へも連れだっていった。せっかくだからと洞窟まで歩いて龍の姿まで拝んできた。
どうしてそんなにアクティブに動けるのかと聞いたことがあった。
「だって、年取って縁側で孫に話せることが
たくさんあったほうがいいでしょう?」
という答えだった。
そうねえ、とうなづきながら、実はあたしは、年取ったら孫の話を聞いてやるばあちゃんのほうがいいな、と思っていた。
話のなかであたしがよく親友の話をするので会ってみたいとそのひとが言った。親友も了解したので桜木町で会った。
観覧車に3人で乗った。3人になると空気が変わった。ふたりの聡明な女性は、互いが似ているせいか、ときどき言葉がカツンカツンとぶつかった。そのたびに居心地が悪くなった。
そのあと、親友に病気が見つかった。あたしはショックでそのひとに相談した。
するとそのひとはあたしには告げずに親友ににポラロイドカメラを送った。あたしには理解できないのだが、切除する前のきれいな姿をとどめておくといい、という意味だったらしい。
その行為にこれから手術を受ける親友は深く傷ついた。そのひとからの手紙を手渡す親友の目が濡れていた。そんな思いにさせたことが申し訳なかった。
そして、あたしはそのひとと絶交した。それがあたしのたいせつなものの順番だった。
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️