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ざつぼくりん 47「虫食いⅢ」
気がつくとベンチに座る志津の足元に黒猫が寄ってきていた。植え込みの低木から出てきたのだろう。飼い主を持たない猫たちは、ここで猫好きの老婦人たちにえさをもらっている。黒猫は「にゃあ」と鳴いて志津の足に体をこすり付けるようにしてまとわりつく。人懐っこい様子だ。どこかの家でそんな風に甘えた記憶を持つのだろうか。こうやって、今も、失ったぬくもりを探しているのだろうか。黒猫の毛の感触が足に残り、互いの体温が混じる。
そのままそばに座り込んだ黒猫の背を撫でながら、志津は運河の上に広がる雲にむかって「ばかやろう」と言ってみた。それは孝蔵のくちぐせだった。
連れ添った日々にいったい何回「ばかやろう」と言われただろう。朝に夜に聞かない日はなかった。憤りも照れも思いやりも慰めも全てたくしこんだ言葉だった。やわらかな暗がりのなかで、孝蔵が志津の耳元に小さく「ばかやろう」と残していったのはいつの日だったか。
孝蔵を見送る覚悟はとうにできていたつもりだった。自力呼吸では足りない酸素をボンベに助けられての息苦しい晩年、荒地を吹き抜ける風のような孝蔵の息づかいが志津にもつらかった。苦しげな気配を肌で感じるたびに、早く楽にさせてあげたほうがいいのかしら、とさえ思った。なのにどの覚悟も孝蔵の不在という引き潮がさらっていってしまうのだった。
夏が逝き秋が過ぎて冬を迎えた今、どうしようもないこころもとなさが志津をつつむ。失ったぬくもり、どこにもいない孝蔵。
「まだまだ元気だったのに」
どこかで誰かがそう言ってくれているだろうか。
買い物帰りの自転車とすれ違う。後ろに乗った男の子は、水鳥が運河を泳ぎすすんでいくのを見つめている。水鳥が進むと流れのない運河に波紋が広がる。波紋はわずかな光を反射して銀色を放つ。しばらくたてば波紋は消える。
志津は地面に足の裏をくっつけたまま空を見上げる。ひろがった晴れ間に飛行機雲が伸びていく。
遊歩道はこの先で終わっている。
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