京都で会ったひとたちのこと 1
東京在住のころ、女子大のクラス会に行ったおりとこと。
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京都駅はいつからかあたしにはよそよそしい場所になった。新しい駅舎はイベント会場のような顔をしてひとを迎えるような気がするのだ。
それはそれでよいのだし、それにもう古い駅舎のことを思い出そうとしてもなかなか浮かび上がってこないし、目の前のスカッと直線的にデザインされた新しい駅舎の空間に過ぎた日々を重ねることはできないのだけれど、それでも昔、幼い息子たちを連れて重い荷物を引きずるようににして歩いた構内のくすんだ色合いが、自分にとっての京都駅のイメージなのかもしれないと思えてくるのだ。
コンコースの両脇のくすんだ窓ガラスが切り取った夏の空は晴れ渡っているのにどこか憂鬱そうにみえたものだった。山陰や北陸へいく電車を取り巻く空気もまたどこか沈んでいるように感じられた。
中書島から市電に乗ってバスの定期をはるばる京都駅まで買いに行ったのは中学生のわたしだった。竹田のあたりから乗ってくる生活力のみなぎったようなおばさんたちが大きな声でハングル語を話していた。はじめて耳にする言葉の強さと市電の刻むガタンゴトンというリズムを感じながら、なんとなく大人になった気分で灰色の京都駅へ向かっていたのだった。
大阪まで何分だとか大きな看板が正面にあったんじゃなかったかな、とあやふやな記憶をなぞってみたりする。
ああ、そうだと気づく。
ここでは、行くべき進路をたがわぬよう駅のどこもとても明るいのだ。出会いばかりが満ちているように明るいのだ。さようならと手を振ってさっときびすを返す明るさなのだ。行ってしまったひとを思って涙するものかげがない。高ぶった思いを包み隠してくれる暗がりがない。
それはそれでよいのだし、時間は撒き戻らない。
3連休を京都で過ごすのは例によって姑の様子を見に行くためと、28年ぶりに大学のクラス会があるからだ。それに姑のケアマネージャーと会う予定もある。
京都はいつも暮らしの場所で、観光に行くという想いはなかった。「普段食べられないものを食べさしてやってくれ」家人のそんな言葉が耳に残っている。いつだってあたしのすることはご飯をつくって片付けることだ。
関が原あたりから雨が強くなって、新幹線のぞみの窓を水滴が泳いでいった。おたまじゃくしのように尻尾を引きずって水滴は真横に進んだ。のぞみは空気をかき分けて進んできたのだ。
観光客がタクシーを待っている。観光シーズンだと改めて思う。雨になったせいもあるのか、その列がおもいがけず長い。その風景もイベント会場を連想させる。
駅のロータリーには空車のタクシーが満ちており、列は空へ舞い上がる龍の尻尾のようにみるみる短くなっていく。
わたしの前に5人くらいの外国人のグループがいた。英語ではない言語を話していた。その後ろに同じく外国人の女性がひとり並んだ。
年恰好の見当がうまくつけられないのだか、30歳半ばという感じだろうか。小柄で小顔のスマートなひとだ。きちっとまとめた髪が知的な雰囲気をかもし出している。鼻が高くてテニスのグラフ選手のようだ。
ブロークンな英語で話しかけてみた。お決まりのことしかしゃべれないのだが。
彼女イスラエルから来ているのだと言った。「遠いでしょ?」と苦笑した。探偵スペンサーの恋人のスーザンはこんなふうなひとじゃないかなと思う。
「サイトシーイング?」空港の係員のようなことを聞く。「ええ」と彼女がうなづく。都ホテルに泊まって古い寺をみて回りたいのだという。
「あなたは?」と聞かれ、「アイ ハフツウー テイク ケア オブ マイ ハズバンズ マザー」と答える。そう口にしてみるとしみじみとそんな思いがわいてくる。
いままでにどんな国に行ったのかと聞いてみた。オランダだけだという。オランダの次にたったひとりで日本に来るのかと驚く。「勇気がおありだ」というと首をすくめて笑った。
わたしは京都に生まれたが今は東京に住んでいるというと、明日は東京に行くのだという。京都は半日では見て回れないと思うがそうも言えない。
「東京はどうだ?」と彼女が聞く。「混んでる」と答える。詳しく語る単語を思いつかない。ふーっと彼女がため息をつく。
「お国は平和なのか?悪いニュースばかり耳にするが」と聞くと彼女はにっこりわらって「わたしの住んでいるところは平和よ」と答えた。
イスラエルのことをどれだけ知っているのかと考えていた。チグリス・ユーフラテスしか浮かんでこない。
そんな話をしているうちに龍の尻尾が見えなくなって私たちが列から消える番がくる。彼女がにぎにぎをするような手つきで手をふり笑顔になって「バイ!」という。「エンジョイ」と答える。
答えてから、楽しめという命令形を言ってしまったんだと気づく。さび付いた英語がなさけない。
乗り込んだタクシーの運転手のきれいにはげあがった後頭部に「堀川今出川」と告げながら、明日のクラス会では、英語を学んだひとたちと会うのだと思い出した。……つづく。