終う(しまう)ということ。
遺品整理の日、思い出したことがある。
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駅むこうにはビルが立ち並んでいる。
そこいらあたりの風は歩道にあるものを巻き上げるようにして吹きぬけていく。秋から冬へ向かう風にそこを行くひとはみな身を硬くする。
日影になった一角の閉まったシャッターの前に青い綿入り半纏を着た老人が立っている。
シャッターの上には弁当屋の看板がある。
もとは黄色だったらしい地の上に赤く店の名が書かれてあるが、全体に煤けて薄汚れて見える。あちこちに傷んだところがあり、どこも無造作にテープで補修されている。
三日前に通った時は、ねじり鉢巻をした若い衆が散らかった家のなかから荷物を運び出していて、あたりには古い家財道具が溢れかえっていた。
細々としたそのどれもが薄汚れているように見えた。商売がうまくたちいかくなったのだろうと思った。
半纏を着た老人はずっと看板を見上げている。眉の太いがっしりとした顔立ちだが、少々顔色が悪い。だらりと下がった右腕のこぶしを左手がしっかりと包みこんでいる。
半纏の下はジャージ姿で、履物はサンダルだ。分厚いソックスに毛玉がある。頭頂部に毛はなく、わずかに残った後頭部の白髪まじりの薄い毛が強い風に煽られている。
道路わきに植えられた広葉樹はきつめに剪定されて、刈り上げた頭を掻くように居心地悪そうにしている。わずかに残った葉が思い出したように時おりひらりと舞い下りる。
見納めのように看板に見入っていた老人もやがて得心したのか、シャッターを上げてビルの中に入っていった。上げ下ろししたシャッターの軋んだ音があたりに響いた。
ビルのむこうの商店街では道路拡張のために店じまいする店が並んでいる。あたりの電柱には揃いの造花が飾られていて、その毒々しい色合いが目に残る。
何軒かはもう取り壊されて更地になっている。工事中の重機の低いエンジン音が地を這って周囲に広がる。
久しぶりに現れて陽の目をみた土がうれしげに風に舞う。ヘルメット姿の作業員が寄り集まってはなにやら話しこんでいる。
古い店構えのてんぷら屋やその隣のピザ屋の店先に貼り紙がある。「道路拡張工事に伴い二十日で営業を終了いたします」この二軒はどこか違うところに移転して営業するらしい。
その角を回ると小さな散髪屋がある。青と赤がくるくる回るあの目印が動いていない。家の前に出された年季ものの散髪台に「粗大ゴミ」と手書きされた紙が貼ってある。黄ばんだ洗面台もあった。ここも店じまいか。
その並びに濃い緑色に塗られたトタン張りの平屋がある。黒ずんだ小さな引き戸の玄関脇にやはり小さな飾り格子があり、そこには何本かハンガーが吊るされている。
クリーニング屋のカバーのかかった小花柄のワンピースや大きなチェックのジャケットが風に揺れている。わたしが知る限りではそのデザインが流行ったのはかなり昔のことだ。
そばに「自由にお持ちください」という手書きのメモが貼ってある。マジックの字がすこし震えている。風が吹いてメモがめくれると、チラシの裏に書いてあるのだとわかる。
足元には紙の箱が置いてあり、樟脳の匂いのする着物や帯がきちんとたたんで入っている。重なりの中に鮮やかな浅葱色や萌黄色の布がのぞく。
持ち主の女性がこれらの着物に身を包んでいたのはどれくらい前のことだろう。そのひとの来し方のどんな場面でその着物は着られたのだろう。昭和という長い時代のどこかでその人生は花開いていたはずだ。
もうひとつの箱には食器がはいっている。プラスチックの椀。薄みどりの取り皿。菓子鉢。茶たく。卓上本棚や灰皿もある。
その横には植木鉢がいくつも重ねて置かれている。花が咲き、花は枯れた。季節のめぐりと共に幾度も繰り返されたその姿を、そばで見つめ続けた古い植木鉢が並んでいる。
狭い部屋を占領するもの。思い出だけは深いがもう着ることのない衣類、使うことのない日用雑貨。
ただ捨てるのは忍びない。あんなに物がなくて苦しんだ時代もあったのだもの。今でも災害にあって避難しているひとのことを思うともったいないことはできやしない。バチが当たる。さあ、だれかに貰われて、少しでも生き延びておくれ。
どれもこれもそれを必要とする誰かのもとで用をまっとうすればいい。さびれた商店街の一角で、誰かの人生がそんなふうに終われていく。
日を置いて通るたびに新たな衣類が吊るされ、違う雑貨が置かれている。先に出されたものは貰われていったのだろう。
鮮やかな薄みどりの手編みのセーターは誰の手元に行っただろう。寒くなった日に、どこかで誰が袖を通しているにちがいない。
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️