そんな日のアーカイブ 12 2003年の作家 藤田宣永
今は著名な作家も、かつては、その先を行く作家に憧れた文学少年であった。阿刀田高さんは中島敦を尊敬し、椎名誠さんは井上靖に傾倒した。
長部日出男さんが太宰に憧れたように、浅田次郎さんが三島を好きなように、藤田宣永さんは吉行淳之介の大ファンであった。
藤田氏は最初吉行淳之介という名前をカッコイイと感じ、その作品を読み進み、彼のような小説を書いてみたいと思ったのだった。
恋愛小説の名手だと言われる壇上の藤田氏はスリムで都会的な黒のイメージである。次元大介がヒゲと帽子を取ったような感じもある。そのサングラスの奥の表情はいささか謎めいて、しかとはわかりえないが、この時間、氏が予想外の少々野太い割れた声で熱を込めて語られたのは、まぎれもない吉行讃歌であった。
「吉行さんの作品は主に東京が舞台ですがあまり地名が出てきません。日本の大都会というだけで、匿名性があるんですね。それが吉行さんの都会的な美意識、美学にマッチしていたと思いますね。東京は出てきませんがかえって東京を語っているんです」
藤田氏は北陸・福井県の出身で、地方都市の因習を肌で感じて育ったひとである。これもなんだかイメージと異なるが、畳み込むように話される言葉に、すこしばかり聞きなれないイントネーションがあるのでそれとわかる。
氏が育ったところには、ひとをみるとすぐに「なにしてるひと?」と知りたがるような人間関係があった。お葬式や法事の焼香の順番にもこだわるような田舎的共同体にいた氏は、吉行さんの描く都会のクールな人間関係に憧れる思いがあった。
吉行さんの父親であるエイスケは「新興芸術派」に属する作家で、ダダイストと称されていた。著書が3冊あるが、後に株の売買の仕事につき、息子が17歳の時に亡くなった。ほとんど帰らないひとだったので父親像がないという。
父子の間に確執はなかったが、父親の文章について、息子はこんなことを書いている。
「当時としては、きわめて目新しい文章であったものが、流行おくれの衣装のように古くなってきている。……亡父の文章は、腐る部分のない文章を書こうという心構えを私に持たせたという点で、役に立ってはいる」
「(『原色の街』という作品について)善と悪、美と醜について世の中の考え方にたいして、破壊的な心持でこの作品を書いた。……過去のダダたちが自分の文章まで破壊しているのを、亡父を通じて見ていた私は……なるべく修飾語の少ない、透明な文章を書こうと心がけた。この心がけは、現在にいたるまで続いている」
藤田氏が「幾何学的なビルの谷間、金属のこすれあう音というふうな、硬質の無機質なかんじの書き方で、都会の音が聞こえてくるようだ」と評した吉行さんの文章の底にはそういう思いがある。
北陸出身の恋愛小説の名手藤田さんはこんなことも言われた。
「『原色の街』という作品は吉行さんの女性観と深く繋がっているんですね。人間関係が生々しいのはいやで、繋がりが金銭だというのは
極めて明晰ではっきりした形に安心したみたいです。相手の思いが、嘘かな本当かなと忖度する必要がないからです。女性に対する深い距離感、不信感、壁や差を感じていたんですね。そこから生まれる恐怖心があるわけです。
僕にもありますね、そういう恐怖心。金銭で歯止めするのは女性に対する恐怖心です。それは都会の人間関係と通底する女性観だと思います。」
男兄弟もいず、母親と妹たちの女の園で吉行さんは育った。すごくモダンで聡明で、かろやかで強い母親あぐりさん。そんな母親をみると対処の仕方に迷いウロウロするのだろうと藤田さんは推測する。
いいお母さんだから逃げようがなく、手がかりが持てず、母親像が持てなかった。女は少年が計り知れないものであったのではないか、と。
「吉行さんは自分の男性性をどう発揮してよいのかわからなかったのだと思います。それが吉行さんの女性観の源でした。都会に生まれ育ちモダニズムの影響を受けた吉行さんの特殊な状況から生まれた都会的な女性観、世界観です。
男女関係を通してそんな自分の世界観を活字にしていったのです
しかし、満足しているひとは恋愛小説を書く必要はないんです。恋と女のひとは馴染みますが、男が男女のことを書くと男らしくないと言われてしまいます」
それは藤田氏自身が味わっている思いなのだろう。先輩である吉行さんがダンディズムや、やせ我慢でその世界を守り通そうとした姿に藤田氏はいっそう思いを寄せたにちがいない。
最後に藤田氏はふっと力を抜くようにしてこんなことを言った。
「吉行さんの存命中にお会いすることはできませんでした。かみさん(小池真理子さん)は編集者としてあったことがあるんですけどね。でも、吉行さんのしのぶ会に出席でき、吉行さんの本の解説を書くことができて、ああ、小説家になったよかったと思いました」
照れたようにも見える表情のなかに、若い日の憧れがかすかに滲んだ。
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Wikipediaより
藤田 宜永(ふじた よしなが、1950年4月12日 - 2020年1月30日)は、日本の小説家。別名義に入江 香。
初期はフランスを舞台にしたフィルム・ノワールを思わせるような犯罪小説や冒険小説を手がける。その後、主に推理小説および恋愛小説を執筆するようになり、都会的なセンスと人情の機微を描く優れた心理描写で、熟年の愛を描いた『愛の領分』にて第125回直木賞を受賞。
妻は同じく直木賞作家である小池真理子。初婚はエールフランス勤務時代で相手はフランス人。離婚後に帰国。小池とは再婚[1]。90年代初頭に夫婦で軽井沢に在住した[2]。
2020年1月30日午前9時44分、右下葉肺腺がんのため長野県佐久市の病院で死去。69歳没[3]。サングラスと長髪がトレードマークだった[4]。
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2003年7/28〜8/2まで、東京・有楽町よみうりホールで開かれた日本近代文学館主催の公開講座「第40回夏の文学教室」に参加し「『東京』をめぐる物語」というテーマで、18人の名高い講師の語りを聞きました。
関礼子・古井由吉・高橋源一郎
佐藤忠男・久世光彦・逢坂剛
半藤一利・今橋映子・島田雅彦
長部日出男・ねじめ正一・伊集院静
浅田次郎・堀江敏幸・藤田宣永
藤原伊織・川本三郎・荒川洋治
という豪華キャスト!であります。
そして17年が経つともはや鬼籍に入られたかたもおられ、懐かしさと寂しさが交錯します。
その会場での記憶をあたしなりのアーカイブとして残しておきます。