ふびんや 1「あずとひな Ⅰ」
品川から下る京浜急行の各駅停車はやたらと小刻みに止まる。北品川、新馬場、青物横丁、鮫洲、立会川……と駅はつづく。その町々を繋ぐ旧東海道の街道筋の小さな商店街に、「ふびんや」と看板が出る、古い一軒家がある。
間口の狭い二階建ての年季もののガラスの引き戸の上には「朽木あず・ひな」と書かれた表札が見える。
「ははー、まだー?」
「まってー、もうちょっとー」
長かった秋雨がようやく降り止み、晴れ渡った青空に母娘のちょっとうわずった声が響く。十月になったというのに暑いくらいの陽気だ。
「お墓におしゃれしていってもしかたないのに……」
荷物をもって先に勝手口から表に出たひなが、木戸の前でひとりごとのように呟く。
「待たしてごめん、ひな。はー、あついあつい。忘れ物ない? お数珠は? お線香は?」
店のほうからでてきたあずは着物の襟もとを気にしながら矢継ぎばやにひなに問いかけ、最後にポンと帯を叩く。
「大丈夫よ、夕べ点検したから。お花は花雅さんに頼んであるしね」
「ああ、よう気がきいたなあ。おおきに」
「どういたしまして。母の着物姿もなかなかきれいに仕上がったしね。ほんと化粧うまいから、五十が近いようには見えないよ。草葉の陰で父も喜ぶよ、きっと」
「これこれ、親をからこうたらあかん」
パーマ気のないおかっぱの頭を気にしつつ、あずが目をむく。
「母、店のほうの戸締り、しっかりね」
「はいはい」
くせのある店の引き戸をなだめながら閉めるとき、奥の壁にかかった額があずの目に入る。「ふびんや」という屋号が筆文字で書いてある。看板の木版の元になったもので、死んだ恵吾の字だ。ここで店をひらいて十年がたつ。なにもかも十年分古くなったが、恵吾の思い出だけはそのままだ。
「天気がようなってよかったなあ」と、花屋で受け取った花を手に、晴れ上がった空を見上げてあずが言う。
「ね、光徳院までどうやっていく? バス、乗り継ぐ? それとも、タクシー、乗る?」
「大井町駅までバスで行って、そこからあるこ。運動もせんとな」
「おおー、さすが倹約家の母」
光徳院にはひなの父、恵吾の眠る墓がある。秋の日にそこへ参るのは、恵吾が逝った六年まえから続く、あずとひな、ふたりだけの儀式だ。
この春二十歳になったひなは左足を少し引きずって歩く。ひなが歩くと無造作に縛ったポニーテールが、藍染のワンピースの背で揺れる。
「おおー、あずちゃん、ひなちゃん、おめかししておでかけかい?」
肉屋の前を通るとめざとくおじさんが声をかけてくる。
「ちょっとそこまでー」
あずは言葉をにごしてバス停へいそぐ。
「ふふ。おじさん、今日はべっぴんさんっていわなかったね。」
振り返ってひながからかう。化粧気のない頬にえくぼができる。
「東京のおひとはほんまにせわやきやな」
「もう十年も東京のおひとやってるのに、母ったらまだにそんなこと言ってるー」
「ふふ、そういうたらそやなあ」
「おじさんにはいつもいっぱいおまけしてもらって、すいぶん助かってんだから、文句言ったらバチがあたるよ」
「そやな。貧しい母子家庭には、ほんまにありがたいことや」
「そうそう。それに母やわたしの作るものを買ってくれるのも東京のおひとなんだからね。もう京都のおひとは買ってくれないんだからね」
あずは着物地で洋服を作って売る。十年前、恵吾が古い友人が呉服商を畳んだという持ち家を安く譲り受け、あずの店にした。
京都西陣で生まれ育ったあずは頼まれれば着物の仕立ても着付けもするが、今は、着るひとの少なくなった着物をワンピースやコートに仕立てなおして蘇らせている。
店内には恵吾が遺した骨董やひなが作る帯地のバッグやパッチワークされたちりめんの小物もある。
「どんな着物かてやっぱり着てやらんとかわいそうですやろ? 生きもんだけとちごて、お道具でもなんでも、この世のどんなもんでも、いうたらひとの自慢もうらみつらみまでも、あんじょう最後までつきおうて成仏させてあげんと、不憫ですやろ」
あずは古い着物をほどきながら、くちぐせのようにそんなことを言う。店の準備のために暇をみては通ってきていた恵吾は、なにかにつけ「不憫」を口にするあずをからかうかのように、店の名を「ふびんや」とつけた。
「何で、そんな縁起でもない名前つけはるのん?」
「それは、そんなふうに何で?ってきいてもらうためだよ。広告のいろはだよ」
「へえー、てまなこと」
「ま、人間だれしも好奇心ってのはおさえがたいもんさ」
半紙にさらさらと書き付けたひらがなの筆文字を、「ほら、良寛さんの字みたいだろう?」と恵吾は自画自賛していたが、あずは、線が細くてどことなくさびしげな字姿だと思った。
そして、その名が自分たち親子に張り付くようで、胸のあたりが妙にざわついたのだった。