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ざつぼくりん 43「よわむしⅢ」
あれはふたごが八カ月くらいのころだったかなあ、夜、絹さんから電話があってな、志津が出ると、ふたごがそろって三十九度の熱を出したっていうのさ。そういうときに限って時ちゃんは法事で京都の伯母さんの家へ出かけちまってたんだ。絹さんひとりで、はじめての熱に不安になっちまったらしい。今日みたいな雨の降る蒸し暑い日だったな。
「あらあら、かわいそうに……三十九度もねえ……」
そんなこと聞いちまったら、俺もそわそわ、落ちついちゃいられなくて、耳を澄まして志津の声に聴き入ったさ。
「そうねえ、心配ねえ。……うん……うん……うん。……うーん、あのひょっとして突発疹じゃないかしらね。……育児書にあったでしょ?……あれはねえ、三、四日は高熱が続くのよ。……そう、どういうわけか、熱がひくとおなかのへんから赤いちっちゃな発疹ができるからね。それが出たらもう治ったってこと……たちの悪いもんじゃないから安心してね」
ものの名前が出てこなくて、あれだとかそれだとかで誤魔化してる志津が、そんな遠い病名をよく憶えていたもんだ。
「そうね、病院には行ってね。解熱剤をもらわないとかわいそうだからね。……でも、大変でしょ? 応援にいくわよ。……そお? いいの?……あ、時ちゃんが帰ってくるのね。……さぞかし、心配してるでしょうねえ……そうね、時ちゃんの取り乱し方が目に浮かぶわねえ……でも、なにかあったらいつでも言ってね……」
そんな電話がきたら時ちゃんは誰が引き止めてもふりきって、すっ飛んでけえってくるだろうよ。
「うちの子も幼稚園に入るまではよく扁桃腺が腫れて高い熱を出したのよ。それもやっぱり選んだみたいにお父さんが出かけていない日にね」
母親のこころもとなさみたいなもんが子供に伝染するんだろうな。
「あのね、熱が上がるときって寒気がするのよ。だから暖かくしてあげて、熱が上がりきったら冷やしてあげるといい。その見極めは足の親指でして。不思議だけどね。足の親指触って冷たかったらまだ熱は上がるのよ。親指が熱くなったらあがりきったってことよ」
不安とか心配ごとってのは 寄せては返す波みたいなもんでさ、こどもを産んだおんなのひとはさ、その波間に身を置いて、母親ってえもんになっていくのだろうよ。父親のほうは……永遠に周回遅れのような気もするな。
「そうそう、それから、冷やすんなら太い血管の走ってるところを冷やしてあげてね。……そう、頚動脈。首筋の後ろと太ももの付け根と腋の下かしらね」
志津が絹ちゃんに教え諭すように言うのを聴きながら、ま、仕事でも暮らしでも、なんとか乗り越えた波の数だけ自信が出来るのかもしれねえなって思ったさ。
具合が悪くて何にもできなくてさ、じっと天井眺めてるとさ、これまでやってきたことがさ、ぽっこりぽっこり浮かんでくるんだよ。仕事のこととか友達のこととか家族のことさ。いいこともあったけど、そうじゃないことも少なくなかったさ。
そんな思い出したくないことが浮かんでくると、上塗りするようにふたごのことを考えるようになった。ふたごの笑顔を思い浮かべるようになった。ありがてえよ。
ふたごがよちよち歩き始めたら、家の中で久しく聞かなかった音がしだしたよ。ダダダダダと針が動く音さ。志津がまたミシンを使い始めたんだ。何作るって、ふたごの服さ。おんなのこの服をこさえるのはきっと楽しいんだろうな。スタイルブックっていうのかね、こどもの表紙のついた本を、襟がどうの、丈がどうのって独り言いいながらしょっちゅう眺めてたよ。だんだん、赤とかピンクとかオレンジとか、ふわふわしたおんなのこの色が増えて、年寄りふたりの古い家が、そこだけ輝くように明るくなったな。
自分が作ったおそろいの服を着て、運河沿いの遊歩道を歩いてくるふたごを見る志津のうれしそうな顔ったらなかったな。きっと、ファッションショーのデザイナーみたいな気分だったんだろうな。俺はそのミシンの音を聞いてるのがすきだ。うまくいえねえけど、別々に生きてきたもんが合わさっていくかんじがいいじゃねえか。
ミシンの音といっしょに、志津の鼻歌もいっしょに聞こえてくるのさ。うきうきするようなリズムのやつだ。こうやって寝てると今もその音が聞こえることがある。ここにいる俺とここにいない誰かが合わさっていくような気がしてくるのさ。
しかし、ふたごっていっても、だんだん好みが変わってくるんだよ。個性があるんだろうな。あんなに仲がよくても、おそろいをいやがったりするんだ。それも不思議でおもしろいもんだな。そうさなあ、鏡をみてるみてえなお互いの存在を、ふたりがどう思ってるのかなんて、わかりゃしないさ。
けど、まだ言葉もままならないうちから、ふたりは俺やカンの顔を見ちゃ、なにかしら思いを通わせて微笑みあってたりしてたんだ。それがまたいい笑顔なのさ。カンは今でもこう言ってるぜ。
「あの当時のおふたりの無垢な微笑みをあたしは今も覚えています。その記憶は地獄まで持っていきたいものだと思っています」
いつだったか、絹さんのおかあさんの具合が悪くなったとかで実家へ手伝いに行くってんで、ふたごを「雑木林」とうちとで別々に預かったことがあった。ふたごはまだ三歳になってなかった。
うちでお預かったのは多樹ちゃんで、天気もよかったんで近所の神社に遊びにいったのさ。なにしろ多樹ちゃんは元気で、体を動かすのがすきなんだ。そのうえ、こっちが思いもかけないことを思いついちゃうんだな。そのひらめきがなかなか突飛でな、いっそ小気味がいいんだけど、ちょっと無謀なこともあってな。
あのときは、神社の大きな根っこを飛ぶあそびをしていて、うまく飛べず足を取られて転んで、怪我しちまったのさ。おとこのこならそんなの日常茶飯だったんだけど、預かってて怪我させちゃったから、俺も志津も恐縮しちまったさ。
絹さんは痛がる多樹ちゃんに、「痛いのは生きてる証拠よ」なんて言ってたけど、時ちゃんはけっこう気にして、細かいことを注意してた。おんなのこだから傷こさえちゃなんねえって思いだろうな。それもわかる。で、「俺たちがついてて、悪かったな、時ちゃん」って頭下げたら、多樹ちゃんが顎引いて上目遣いに時ちゃんをにらんで怒ったんだ。
「こうじぃはわるくないもん。わるいのはたきちゃんだもん」
ってな。
多樹ちゃんてのはちっちゃいのに、なんかこう、仁義がある子なんだ。あとで聞いた話なんだが、その多樹ちゃんがころんじまった同じ時に、「雑木林」にいた沙樹ちゃんが本棚の前で急に泣き出しちまったらしい。
そばにいたカンはなにがどうなったのやら原因がわかんなくてオロオロしたっていってが、沙樹ちゃんは多樹ちゃんの痛みを感じたらしいんだよな。なんでそうなのか、なんて説明はできねえけど、ふたりの間に見えない何かが繋いでるって感じだよな。
俺にはよくわからねえけど、カンに言わせると
「ひとりのひとになるはずだった体とこころがふたつになって、生きていくのです。同じ幹から枝分かれして、時が経てば経つほどにふたりにあいだには距離が生まれるのですが、それでも呼応し補完しあう魂なのです。それはひととひととが向いあう理想の形であるかのようにわたしには思えます。ほんとうにふたつの美しい魂なのです。その特別で不思議な関係がなんともうれしくて、あたしはこころが踊ります」
てなことになるらしい。
小難しいことを言いやがるんだが、俺は、中身はどうあれ、あいつがこれまであんまり見たこともねえいい顔して話してるのがうれしかったさ。
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