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そんな日のアーカイブ 9 2003年の作家 伊集院静

ああ、正直に申しましょう。その日、グレーっぽいジャケットをさりげなく着た伊集院さんが現れた時、あたしはいつもより力をこめて拍手をしてしまいました。なんというか、我ながらミーハーでこまったものです。

伊集院さんは今は亡き夏目雅子さんのご主人である。その関係で、テレビのワイドショウなどでよくお見かけしていた。在りし日の若き夏目さんが「どんなひとですか?」という質問に
「薔薇や憂鬱なんていう難しい漢字をすらすら書けるひと」と初々しく弾む声で答えていたのを思い出す。

えー、と少々困惑気味のしゃがれた第一声を聞いて時間というものは容赦がないなと思った。ひまわりのような夏目さんの眩しい笑顔は止まった時の中で変わらずにあるが、伊集院さんの豊かな髪は灰色がかってきている。

「近代文学館の文学学校の参加者なんてわずかなもんだろうって思ってたらここへきて、こんなに大勢のひとが来てると知って驚いているところです」の言葉に会場が大いに沸く。そう、もの好きがこんなにたくさんいるのです。

「色川武大と神楽坂界隈」というのがテーマだった。伊集院さんはいろいろお調べになって原稿を作るつもりだったけれど、大リーグの放送で松井くんが出てたもんで果たせなかったと
ごにょごにょごにょっとおっしゃる。

講演はそんなふうにごにょごにょっと続いていった。お話の流れは、どうも行きつ戻りつしていて、なんだかつかみ所がないような感じがした。その「つかみ所のなさ」が色川さんの個性だったのかもしれないとも思う。

「色川氏の作品の奥行きはとても深くて、作品について五十ほどの論文が書かれてありましたが、その論文に共通している評は『どうもよくわからない』ということでした。今日の僕の話の結論もきっと『よくわからない』ということになると思います」

これにも会場は沸く。

色川さんは1929年3月28日新宿矢来町に生まれた。芥川が自殺した年、不況と戦争に進んでいく中で生まれた。父44歳母24歳の時のお子さんだった。

6歳で市ヶ谷小学校入学した色川さんは矢来町から神楽坂へよく遊びに行った。色川作品の心象と風景が重なる時の描写は神楽坂のものではないかと思われる。

食べ物の趣味嗜好は神楽坂時代のものだった。5歳の時に東京であんみつが大流行したせいか
甘いもの好きで、特にみつまめが好きだった。

「色川さんの食欲は異常でした。三日食べていない養豚場の豚みたいでした。一緒に中華料理屋に入ったときテーブル一杯に料理を頼んで
それを一人で食べました」

一緒に旅したとき、その量に驚いたそうだ。

文章を書き始めたのは勤労動員のころで赤羽工場でガリ版刷りのものを出したが、そのため中学を無期停学になった。

海軍軍人だった年の離れた父親との確執が文学的テーマではないかといわれるが、そうではないと思われる。

「あるとき、家を訪れたひとが色川さんを見て『おつとめですか』と訊ねた。そのとき家族はにこりと笑って『小説のようなものを書いております』と答えたそうです。おとうさんには期待感があったのではないかと思います」

さても、色川さんは突然睡魔に襲われるナルコレプシーという奇病に悩まされていた。ある時伊集院さんが誘いの電話をかけて、待ち合わせたが待てど暮らせど色川さんが現れないので、気になって自宅まで迎えに行ってみると、玄関で色川さんが眠っていた。興奮すると発作のように眠ってしまうのだそうだ。

また、色川さんは阿佐田哲也というもう一つの顔を持つ筋金入りのギャンブラーだ。

伊集院さんもまたそんなふうである。色川さんはエッセイで伊集院さんのことをこんなふうに書いていた。

「初対面は確か黒鉄ヒロシが伴れて私のところへ遊びに来たのだと思う。亡妻の命日だとかで、夏目雅子ファンが某所に集まっており、私のところは挨拶だけにして彼はそちらへ出席する予定だった。ところがメンバーがわるい。ほんの遊びでチンチロリンを始めたら伊集院氏の負けがこんだ。なに小銭の遊びなのだが、負けて席をたつというのが嫌いな人らしい。十五分おきに会場に電話して、なにやら弁解している。ばくちは親の死に目に遭えず、というが、亡妻の命日にチンチロリンで尻が長くなるというのが、実におかしくて哀しく、私などには気持ちがありありとわかる」

そう、色川さんはたいそう伊集院さんが気に入ってたようだ。こんな言葉がつづいている。

「親しく交際してみると、まことに懐が深く、重厚である。呑む打つ買う、三拍子が見事に揃っている。その上、仕事もたっぷりやる。なにしろ野球選手だから体力が有り余るほどある」

「ロペなどのファッションショーの演出をやり、アイドルのリサイタルの演出を引き受け
作詞をし、高校野球の監督をして甲子園に出、多彩すぎるものだからなにが本業かわからない。それで非常に現代風の機能的な人間かというと、ロマネスクな昔の遊び人の面影がある。そうして小説を書かせると、非常に真摯なものを書く」

「私はこういう八方破れに見えて、どこかひたむきなものを持っている人物が好きで、なんとなく弟のような眼で見守っているときがある。
・・・今のところ清潔(?)な仲であるが、伊集院氏さえよければ、私は結婚してもいいと思っている」

なんという惚れこみかただろうと驚く。博打と文学の無頼の系譜とでもいえばいいのだろうか。

いずれ伊集院氏も直木賞をとることとなる。色川さんは伊集院さんのなかにかつての自分を見ていた。

「旧約聖書の言葉『赦す』『赦してほしい』
これが色川文学の核なのではないか」

終わりの時間がせまるなかで伊集院さんが言ったその言葉もまた伊集院さんのなかに引き継がれていくものなのかもしれないと思ったりする。

伊集院さんのごにょごにょと行きつ戻りつする言葉のなかに、色川さんとの心の交流が垣間見えて、ほのあたたかいひとときであったなあと思いつつ、また大きく拍手をし続けたのであった。 

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Wikipediaより

伊集院 静(いじゅういん しずか、1950年2月9日 - )は、日本の作家、作詞家。
伊集院 静は作家としてのペンネームである。作詞家としての筆名は伊達 歩(だて あゆみ)。
本名(戸籍名・日本名)は、西山 忠来(にしやま ただき)。男性。2016年、紫綬褒章受章[2]。

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2003年7/28〜8/2まで、東京・有楽町よみうりホールで開かれた日本近代文学館主催の公開講座「第40回夏の文学教室」に参加し「『東京』をめぐる物語」というテーマで、18人の名高い講師の語りを聞きました。

関礼子・古井由吉・高橋源一郎
佐藤忠男・久世光彦・逢坂剛
半藤一利・今橋映子・島田雅彦
長部日出男・ねじめ正一・伊集院静
浅田次郎・堀江敏幸・藤田宣永
藤原伊織・川本三郎・荒川洋治

という豪華キャスト!であります。

そして17年が経つともはや鬼籍に入られたかたもおられ、懐かしさと寂しさが交錯します。

その会場での記憶をあたしなりのアーカイブとして残しておきます。

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bunbukuro(ぶんぶくろ)
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️