ふびんや 34「枇杷屋敷 Ⅳ」
伊沙子が微笑みながら「いいじゃないの。命短しよ」という。
「はいはい、わかりました。わたしの顔みると、みんな、同じこというんだもん、いやになっちゃう。あかねちゃんなんか、消防署に電話したりしたのよ」
「おやおや、そうなの。で、どうだったの?」
「しらない!」
「そうふくれないで。みんな、ひなちゃんのことが気になってるのよ」
「わかってるけど……はずかしいもん」
「そう、そこがまたいいのよ」
「もー、今日はいらないものの話なんでしょう?」
「そうそう、それそれ。うっかり忘れるところだったわ。ほら、このあいだ『枇杷屋敷』が壊れちゃったでしょう?」
「ああ、あの角の家ね。なんか大変だったみたいね」
「そう、あの家とは古い知り合いだから、うちのが手伝いにいったのよ。で、その解体のときにでてきたいらないものをうちが預かってるのよ。古いミシンとかハサミとか、いろいろあるのよ」
「へー、そうなの。あそこはテーラーなんとかっていうお店だったよね」
「枇杷屋敷」は町内の外れの角地にあった。かつては高級紳士服の仕立て屋だった。呼び名の通りその家には大きな枇杷の木が植わっていて、丈高くなった木は細長い葉をうっそうと茂らし、家や接する路地を薄暗くしていた。
初夏には、たわわに実った枇杷の実がカラスの餌食になって、つつかれ落ちて朽ち果てて、屋敷のまわりのそこここに見苦しく転がるのだった。
屋敷などと呼ばれているが決して大きな家ではなく、手入れの行き届かない古いだけの二階家だった。その薄暗さが幽霊屋敷を連想させるからか、かなり前からそう呼ばれていた。
こちらに引っ越してきた頃の小学生のひなも、黄ばんだカーテンが引かれっぱなしのその家の前を通ると、なんだかざわざわして落ち着かない思いがしたものだった。
その家の二階の床が、師走に入ったある日、突然、抜け落ちた。それが引き金になってシロアリが巣食う傷みの多い家全体が傾いで、倒壊した。隣家のひとの話では、それはひとが膝を折ってから倒れるように、妙にゆっくりと、なにかしら手加減するように崩れていったのだという。
ひなが子供のころには、店のガラス戸に書かれた白い筆文字の「テーラー松本」という店の名が虫食いのようにところどころ消えていた。割れたガラスにはベニヤ板が張られ、歪んだ桟はガムテープで補強されていた。
店主の腕がいいと評判だったこともあるらしいが、いつしか誂え紳士服の時代は遠いものになってしまい、徐々に客足は遠のいていた。道行くひとは日に日に荒れ果てていくテーラー松本の家の前で、ガラス戸の向こうのくらがりをうかがいながら、その暮らし向きを案じたものだった、と伊沙子が話す。
「あの日、うちのも業者に混じって片付けしたんだけど、なんか、部屋のなか、そこかしこ植物が茂ってて、みどりだらけで、まるでジャングルみたいだったって言ってた」
その家には老夫婦と康夫という一人息子がいた。康夫は夫婦が長年待った子供だったが今ではもう四十路が近い年になっている。
「ずっと子供ができなかった夫婦らしくてね、奥さんはガーデニングに走ってたみたいね。康夫ちゃんが出来たのはご主人が四十台半ばの頃だったそうよ。だからってことはないでしょうけど、ちょっと変わった子だったわね、あの子」
奥さんは、景気の悪くなった店内の隙間を埋めるように次々と鉢を増やしていった。店先には、種や球根から育った花を咲かせるプランターが所狭しと並んでいだ。
安価な花や観葉植物は丈夫に根付き、昔からあった枇杷の木が天を指して伸びていくのと歩調を合わせるように育っていった。テーラー松本は次第にみどりに溢れていった。
「ご主人は康夫ちゃんに跡を継がせたかったらしいんだけどさ、康夫ちゃん、仕立てのこと、教わっても教わっても、いっこうに上手にならなかったのよね。ご主人はなんにも言わなかったらしいけど、奥さんがけっこう愚痴てたそうよ」
康夫は裁断にしても縫製にしても、ここ一番でミスをしてしまう。何度注意されても同じところがうまくいかない。今度こそ、と意識すればするほど、力んだ指先が造反する。時間をかけて慣れていけば、いつかはちゃんとできる、という両親の願いがかなうことはなかった。
ほかに職を求めることもなく、康夫の肩書きが見習いのまま、いたずらに時間ばかりが流れた。
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