朝倉彫塑館 2003
<<2003年の10月のことです>>
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日暮里駅から坂を上って、佃煮屋さんや煎餅屋さん、団子屋さんを右左に見ながら、路地を左にはいる。
そう整った町並みではないな、と思いながら歩を進めると、コンクリートの塀の向こうにおもいがけない建物を見る。
黒いドーム状のエントランスがあり、その向こうの建物の屋上にはもの思わしげに頬づえをつく座位の塑像が見える。
芸大教授だった朝倉文夫さんが昭和十年に全ての改築を終えたというその館にわくわくしなから入っていった。
天井の高い展示室には力強いブロンズ像が並ぶ。「墓守り」「大隈重信像」「九世市川団十郎像」
そして「羽黒山像」
羽黒山という力士はこんなに美丈夫であったのか、と驚く。
朝倉氏の書斎には羽黒山関専用の特注らしい赤い革張りの肘掛け椅子があった。ところどころにある傷も羽黒山がそこに座ったからだと思うとぐっとその存在感が増す。
ひとを歓待するということは、こういうことだと思うとうれしくなる。
大分出身の同郷である力士に教授はどんな言葉をかけたのだろう。
いつでもここにおいで。この椅子が君をまっているよ。ぼくたちも君を待っているよ。そんなことを語りかけてきそうな椅子である。
猫の像のシリーズはいい。こころなごむ。
猫が好きでどんなしぐさも見落とさない芸術家の目で捉えられた瞬間の動きに目を見張る。
首根っこをつかまれた猫、伸びをする猫、眠る猫、獲物を狙う猫。そうそう、彼らはこういうかっこするよね、と微笑ましくなる。
展示室はかつて作品製作をする場所だったので天井が高くなっている。
時には桁外れに大きな作品もあったのだろう。床も舞台のせりのようになっていて、開くのだと説明された。
よくよく見て見ると隙間があった。その隙間から中を覗いた。するとうす暗がりのなかに大きな歯車がいくつも組み合わさっているのが見えた。
そこからはむかし乱歩や横溝の世界で出会ったような、いわくいいがたい、なんともあやしい匂いが立ち上ってきているような気がして息を飲んだ。
そして、もしも、ここで事件がおこったらどうだろう、などという困った妄想が湧いてくるのだった。
書斎の天井も同じように高かった。三方の壁の床から天井まで作りつけられたガラス張りの書棚にはびっしりと分厚い本が並んでいた。洋書もたくさんあった。
庄司薫さんの本で主人公が老教授の蔵書をみてふかい溜め息をつく場面があったように思うが、図書館の一室のような書斎で次第に私もそんな気分になっていったのだった。
ガラス張りの書棚の中に手首から先のブロンズ像を見つけた。和綴じの冊子やお手製のへらや茶杓などの細かなものと並んで、その手はなにげなくそこにあった。
それは朝倉文夫氏のデスハンドであった。亡くなった直後に型を取って作られたものだという。
その手を残しておきたい、そう思ったひとの心根が伝わってくる。為すべきことを為したその手には、太い血管や筋が浮き出ていた。
自分の手を近づけて、ガラス越しに比べてみた。大きさに変わりはないように思えたが、そこに脈打つ力強さが違った。
為すべきことを為さねばこんな手にはなれないのだと思った。仕事が手を作るのだ、と。
その手が作り上げたもの、つかんできたもの、育んできたもの、愛でてきたものを思った。
この手がアダムスファミリーのお化けのハンドようにとことこと動き始め、このガラス戸から抜け出したら、いったいどこへ行くだろう、などと妙な想像をしてみる。
きっと一番に猫の像のところへいってその喉や背をいとおしげに撫でるにちがいない。いつくしんだ東洋ランや趣味で集めた古い陶磁器にも
やさしく触れるだろう。洋館を出て渡り廊下から庭に出て池の水に指を浸し、そこに配された五つの巨石に指を滑らせるかもしれない。
3階まである和室で、畳や土壁や竹、螺鈿の家具をめで窓や壁など、部屋のどこそこに満ちる「まるみ」の感触を存分に味わってからゆっくり昼寝でもして、おもむろに屋上に上がって、谷中の町を一望して「変わったな」と呟くことだろう。
氏がなくなった昭和39年からはもう40年ちかくが経とうとしている。
ガイドブックを見て驚く。朝倉文夫氏は一度も外遊していない。そのなかで竹田道太郎さんはこんなふうに書く。
「何もなく、一木一草も生えていなかった日本彫塑の野に古典からロココまでの伝統を、ただひとりの作家が種を蒔き,育て、花咲かせて実現させたといったら、人々は信用しないであろう」
「日本の近代芸術のすべてがヨーロッパの直接的な影響によって育てあげられ、パリに行くことが芸術家としての重要な資格とされた時代に、かつてその洗礼を一度も受けず、堂々と日本彫塑の基盤を築きあげた朝倉の明治から大正、昭和にわたる仕事は日本造形芸術界の驚異であり、稀に見る異例として日本美術史に書きのこされるであろう」
この手はやはりすごいことを成し遂げてきたのだと改めて知る。