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ざつぼくりん 23「透明ランナーⅡ」
僕が幼稚園年少組のとき弟が生まれた。早産で未熟児だった。退院しても親は神経の張った子育てを強いられていた。しかし、薬品会社の研究所に勤めていた父は仕事一辺倒だったので、母がいそがしくひとりでなにもかもをこなしていた。自然に僕は他所の家へ遊びに行くことが多くなった。
僕とシンヤが住む団地から坂道を下って五分のところに純一の家があった。十年あまりの間、来る日も来る日も転がるようにその坂を下って純一を誘いに行った。
遊びも学校も剣道やお囃子の稽古もいつもいっしょだった。中学に入ってあいつが陸上部、ぼくが剣道部で、互いの部活が違うようになっても、朝練の日以外は肩をならべて校門をくぐった。
純一の家は「雑木林」に似た古いタイプの骨組みのしっかりした一軒家だった。その空間は僕にはとても居心地がよかった。
僕の家は社宅で三DKの団地だったから、縁側や床の間、屋根裏などがある純一の家はとても魅力的に思えた。うらやましくもあった。あの家の庭のどこへもぐりこんでも僕は探検気分が味わえた。
天気のいい日でも部屋のどこかに薄闇があり、うちで嫌なことがあってとんがった気分の時にその暗がりに身を置くと、ほっかりと気持ちが落ち着いていった。日当たりのいい団地は無駄がない分、ときどき居場所がなくなる。純一の家は僕の隠れ家でもあった。
純一が坂を上ってうちに遊びにくることもあったし、虫捕りに行こうと誘いに来ることもあった。走っていたり、自転車でたちこぎしたりするあいつの姿が、青い空を背景にしてだんだん大きくなっていくのを見てるのが僕は好きだった。これから始まるたのしいことの予告編を見るような気分だった。
水族館そばの大きな公園に仲間と虫捕りにいった。純一は虫捕りに詳しかった。
「僕が草むらを揺らしたらバッタが飛び出してくるから、みんなはそいつらがどこへ飛ぶか見てて、網で捕まえて。小さいバッタは一メートル、大きいバッタだと五、六メートルぐらい飛ぶからね」
純一の言葉に従ってシンヤとマコトと僕が協力してバッタを捕まえた。
「トンボの目って、でかくてすっごくよく見えるんだって。だから、からだを低くしてね、うしろからこっそり近づくんだ。」
追いかけては逃げられて、うまく捕まえられない僕らに純一がそう言った。汗が目にしみたり蚊にさされたりしながら、身をかがめて捕まえるタイミングを計る。僕らは雑草のくさいきれを感じながら永遠のような時間を待つ。
ひょい。うまくトンボを捕まえられたときの爆発的な喜び。青空。笑顔。やったじゃん、という純一の声。おうと答える自分たちのうれしそうな声。獲物が入った虫捕りかごを得意げに揺らす帰り道。
そんなシーンがコマ送りのように蘇ってくる。
僕は、毎朝、あの家の木戸の前で「じゅーんいちー」とあいつの名前を呼んだ。暑くても寒くても寝坊の純一を待った。剣道やお囃子の稽古のときも、支度するあいつを待った。僕はそんな時間も好きだった。
純一が出てくると、風呂に大蜘蛛が出て大騒ぎだったことや団地の火災報知機が誤作動したことか、そんな毎日のささいなことを僕はしゃべり続けた。あいつはにやにやして「げーだな」とか「すげえな」とかしか言わないのに、僕は話したかった。
時々、純一の父親、孝蔵さんが出てきて、僕に声をかけた。
「おう、時ちゃん、はええな。いつも、ありがとよ。なあ、時ちゃん、今日は天気がいいから、休んでおじちゃんといっしょに釣りにいかねえか?」
そんな軽い言葉で僕を誘う。「うん、いく!」と喜んで答えると志津さんが出てきて
「おとうさん、朝っぱらからなに馬鹿なこと言ってるのー」
と怒る。すると孝蔵さんは首をすくめながら、それでもどこかうれしそうな顔で言う。
「へっ、すまねえな、時ちゃん、今日はおばちゃんがうるさいから、また今度、な。楽しみにしてるぜ」
別な時は「将棋、指そうぜ」だとか「凧、つくろうぜ」だとか、ちいさい子のこころを惑わすようなことばかり口にした。本気で言っていたわけでないし、必ず志津さんがとがめることになるのだけれど、そんな誘いは、僕のこころを掴んで離さなかった。
僕の父はうっかりしていると家族がいることもわすれてしまいそうな、典型的な研究者タイプだ。生真面目で融通がきかない。こつこつと努力することが美徳だとその猫背の背中が語る。
しかし、家族にしてみれば、たとえ悪意がなくても結果的に、その生真面目さ、融通のきかなさに傷つけられてしまうこともある。
学校を休んで釣りに行く。そんなことを僕の父は思いつきもしないだろう。父親というのはそういうものなのだと思っていた。
孝蔵さんはおもちゃでも日常品でもなんでも自分で作った。目の前で、釘を打たないで臍穴あけて木組みだけで植木鉢の台を作っているのを見ていて、僕は何気なく言った。
「じゅんちゃんのおとうさんはなんでもできていいよあ。うちのおとうさんなんか、こんなのぜったいにできないよ」
孝蔵さんはいつになくまじめな顔をして僕を諌めた。
「時ちゃん、そんなこというの、よしな。時ちゃんのとうさんは薬、作ってんだろう? おじさんはそんなことできねえぜ。時ちゃんと純一の顔がちがうみたいに、みんな得意技がちがうんだよ」
そのときは不承不承うなずいたのだけれど、時を経て、いろんな意味で純一と自分との違いに気づいたとき、僕はこの言葉にずいぶん救われることになる。
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