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ふびんや 17「鼠志野 Ⅴ」

昼休みだった。給食が終わったあと加奈子が真面目な顔つきで「用があるさかいに非常階段のとこにきて」とひなの耳もとで言った。「なに?」と警戒すると「ちょっとだけや。ふたりだけのヒミツのはなしがあるねん」と声を潜めた。

「いやや」と断ると加奈子の取り巻きふたりがひなの両脇を固め、にやにやしながら「いいじゃない。ひーな」と意味ありげにひなの名を連呼し、抱き上げるようにしてひなを非常階段のほうへ連れて行った。

三階の非常口の重いドアを加奈子が開けると、強い雨風が吹き付けてきて、それぞれのスカートの裾をめくりあげる。とりまきはそんなこと気も留めず、ひなを非常階段に放り出すようにして手を離す。そのとたん、ひなはバランスを崩しかけるが、手すりにつかまってなんとか転ばずに立った。

「なんの用?」とひなが聞くと、加奈子が前に出てきてひなの顔をのぞきこみながらゆっくりとした口調で「あんたー、田沼くんのこと、すきなんやろ」と問い詰めた。

「うううん、田沼くんのことなんか、なんともおもてへん」とひなは答える。

「この嘘つき、おんなじ保健係やていうていっつも田沼くんといっしょにいるやんか」

「なにいうてんのん。係の仕事してるだけやんか」

「あんた、加奈子が田沼くんのことすきなん知ってて、横取りするつもりやねんやろ。田沼くん、ハンサムやし、お医者さんの息子やしなあ」

とりまきのひとりがそういってひなの肩を突く。ひなは足を踏ん張ってこらえる。

「そうや、そうや、あんた、あんたのおかあちゃんと同じことするつもりやろ。ひーな。隠してもあかんえ。あんたのおかあちゃんのことはクラスのみんなが知ってるわ」

もうひとりは横合いから肩をぶつけてくる。半身を傾けながらもひなは踏ん張る。加奈子がフンと鼻を鳴らして、蔑むように言った「あんたのおかあちゃんは泥棒や」という言葉が大粒の雨とともにひなを打った。返す言葉が出てこない。顔をそむけて唇を噛んだ。

それを見て加奈子が勝ち誇ったように高い声で笑いながらひなの後ろに回りこんだ。そして「あんたなんか、いらんわ」と言い、ひなの背中を階段のほうへ強く押した。

濡れた階段がひなの脚を滑らせた。どんな向きになってどう転がっていったのかという記憶はまったくない。

その途中でこちらをうかがう加奈子の笑っている顔が見えたような気がしたがそれも一瞬で、焼かれるように脚がいたみ、意識がなくなった。

「ひな、ひな、ひな」

せっぱつまった声だった。何度も自分の名前を呼ばれているのはわかっていたが、どうしても目が開かない。あけなきゃ、と思っているうちにひどく頭が痛み、深みに沈み込むように気が遠くなった。

そのあともそこから少し浮かび上がってくることもあったが、また沈みこんでしまう。浅くなったり深くなったりする水のなかを、為すすべなく、ずっと浮遊している感じがしていた。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️