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ふびんや 40 「闇坂 くらやみざか Ⅳ」
「あの、この部屋にあるもんはどれでも、持ち帰ってもええっておっしゃいましたねえ」
「ええ、まあ、どうせ不要品ばかりですからね。いいですよ」
「あの、あつかましいんですけど、もう少し探したいておもてますねんけど、よろしいか」
「あら、まだ、なにかお目当てのものがおありなの?」
「ええ、まあ、そうといえば、そうであって、そうでないかもしれへんのですけど……」
ハルタは大きな目をぐるりとまわし、はっきりしませんのねえ、と文句を言う。それにはこたえず、あずは物色し続ける。
「これとはちがうし、ここにもないし……そやけど、まだすすり泣いてるし……」
「ねえ、それはいったいなんのことですの」ハルタの声が少し苛立っているのがわかる。
「あの、この部屋には不憫なもんがあるはずなんですわ。それを探してますねんけど、なかなか見つからへんのです」
ここまできたら、もうそう言うしかない。それを聞いてどう思うかはハルタ次第だ。するとハルタは、えっ、と大きな目をいっそう大きく見開いた。そしてすぐさま大仰にうなづき、したり顔になる。
「ええ、ええ、ふびん、不憫ですよね。わかりますわかります。あれですよね。わたしもセンセイからうかがってますわ」
清岡がこれまでにどんなことを説明したのかはわからないが、どうやらハルタはそれで納得したらしく、風向きが変わった。そして妙に張り切って言う。
「よろしゅうございますとも。このわたくしもお手伝いいたしますわ」
ハルタがいるからといって、それがなんだかわかるわけでもないのだが、その大きな体から発するエネルギーが心強かった。部屋の温度がすこし上がったような気さえした。
ふたりしてどっさりあった部屋中の荷物を片側にのけると、隅にある小ぶりの古い本棚が目についた。上はガラス、下は木製の扉の開きになっている。
「ああ、ひょっとしたら、この中かもしれませんよ」
大きなハルタがかがんで下の開きをあけた。
「あら。これはなんだったかしら」
ハルタの視線の先に黄ばんだ晒しの包みが無造作につくねてあった。ただそれだけがそこにあった。
「あ、あった! ふびんなんはこれですわ」
あずはハルタを押しのけ、包みを取り出し、晒しをはぎ取った。現れたのは汚れ傷んだ雛人形だった。それを見てハルタはヒッと息を飲み、大きな体をのけぞらせた。その顔色をうかがいながらあずは言った。
「あの、ハルタさん、これも、もろてもよろしいんですよねえ」
あずの申し出にハルタは一瞬表情を硬くし、思案げな顔つきになった。
「ああ、でも、これは予想外のお品物ですから、センセイにおたずねしませんとね」
意を決したように大きな手ですばやく人形を掴んだハルタはそそくさと部屋を出て行った。その表情からするとそのまま取り上げられてしまうような気がして、あずもあわててその後をついて階段をあがった。
二階にある清岡の書斎は、暖房が強く効いていて、他の部屋に比べると空気がムッとしていた。あずはその暖かさにほっとしたが、今まで縮んでいた毛細血管が広がりはじめ、次第に耳たぶや手足の指先がジンジンし始めた。すこし頭もぼんやりしてくる。
しばらくして落ち着いて見回すと、部屋は要塞のようにおびたたしい数の洋書で囲まれていて、昼間でも薄暗かった。背表紙の金文字のアルファベットが鬼火のように見えた。
清岡は部屋の真ん中にすえられた大きな机に向っていた。左側に置かれたスタンドの光が清岡の痩せた顔に深い影を貼り付けており、その顔はいつになく酷薄にも見えた。
近寄ってみると清岡は書きものをしていた。左手に持った万年筆が原稿用紙の上を滑っていく。清岡は原稿に没頭していて侵入者に気づかない。ハルタが「センセイ」と声を掛けると、遠いところから舞い戻ってきたような顔つきになって、いつもの穏やかな声で「ああ、ハルタさん、なにか」と答えるのだった。
隣で、あのう、とあずが声を出すと、驚いたようにあずのほうを見た。
「ああ、これはふびんやさん。今日、お見えでしたか」
センセイは時間にうるさいとハルタは言っていたが、ご本人は約束の日さえ覚えていないようだった。それだけ原稿に集中しているということなのだろう。
「センセイ、実はこんなものが出てまいりまして、ふびんやさんはこれが不憫だから持ち帰りたいとおっしゃるのですが、よろしゅうございますか? わたくし、こんなものがあることすら存じ上げなかったものですから、どうしたものかと思いまして……」
ハルタはスラスラと事情を説明し、雛人形を清岡の目の前に差し出した。
「おや、これは……。ね、この人形、いったいどこにあったんですか、ハルタさん」と、勢いこんで清岡が訊ねた。
「あ、あの、旦那さまのお部屋の小さい本棚の下の開きにございました」
「あー、そんな所に・・・…」
清岡は人形を手に取ってしげしげと眺め、人形の汚れた顔に手を当てたかと思うと深いため息をついて肩の力を抜いた。そのとたん、清岡の痩せた体が少し萎んだように見えた。
「センセイはこれがどういうものか、ご存知なんですか?」
清岡の様子を案じながらハルタが訊いた。
「ええ、知ってますよ。いや、ほんとは、知らなかったのかなあ」
「まあ、はっきりしませんのねえ。どちらですの?」と、ハルタはまた大きな目をむく。
「うーん、どういえばいいんでしょうね……」
清岡は丸眼鏡の縁を押し上げながら口ごもった。
「あの、家のなかにこの雛人形があることは知ったはったけど、どこにあるのかは、おわかりやなかったっていうことですやろか」
「はい、そういうことなんです、ふびんやさん。僕、これ、初めて見ました」
「なんぞ事情のあるお品なんですか?」
「ええ、まあ……」
「うちとしては、これ、いただいて帰りたいとおもいますねんけど、どないですやろ」
「あ、これ? 持っていっちゃうの?」
「あきまへんか? それほどたいせつなお品なんですか?」
「あ、はい……実は……」
清岡はおんなふたりの強い視線に耐えかねて観念したのか、ぽつりぽつりとこの雛人形の来し方を話しはじめた。
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