ふびんや 30「土門 Ⅳ」
野次馬がまたどよめいている。路地から消防士が救助したひとを抱えて出てくる。今度は何組かが続いている。
「あ、また出てきたよ。公子さん、いるかな」
缶を足元に置いて、あかねが立ちあがった。ひなもゆっくり立って、人影越しに覗き込んだが、両脇を支えられたひと、抱きあげられたひと、どのひともみなうなだれていて、表情が見えず、だれがだかだかわからない。
それでもひなは「公子さーん、内藤公子さーん」と大きな声で呼んだ。あかねも「内藤さーん」と声をかけた。
前にいたひとびとが一斉に振り返ったが、ふたりはかまわず続けた。しかし、返事はなく、その姿をみることもできなかった。やがて大きなサイレンの音をたてて、救急車は動き出した。
「今のに乗って行ったのかな、公子さん」
「どうだろうねえ。わかんなかったね。……あっ、とうさんだ」
統三が帰ってきた。どことなく煤けた感じがする。
「おお、いたいた。ふたりともなにごともなかったか?」
「あのね、ひなちゃんが野次馬に押されて転んだ」
「おいおい、なにしてるんだ。ひなちゃん、痛むのかい?」
「平気。それより、火事、どうなったの?」
「ようやく下火になって、延焼の危険もなくなったみたいだ」
「かなり焼けたの?」
そういいながら あかねが統三にも缶コーヒーを差し出した。統三はコクコクコクと一気に飲んで、大きなため息をついた。
「ああ、ひどいよ。景気よく燃えやがった。どうも、亡くなったひともいるみたいだ」
「へー、そんなにひどかったの? あんまり時間たってないのに」
「火の回りが速くてな。燃えやすいものが多かったみたいだ。けど、昔の建物だからさ、ややこしいもんがなかったから、みんなきれいさっぱり燃えちゃったさ。今はもう、消し炭みたいになった梁しか残ってないよ。もともと幽霊屋敷みたいなところだったがな」
「あっけないものね」
「ああ、火事はこわいさ。しかし、今回は消防ががんばったよ。あのアパートだけですんだんだからな」
「でも、公子さん、お家、なくなってこれからどうするのかしら」
「まあ、それは先の話さ。たぶん、この地区の民生委員が動いてくれると思うよ。まあ、いずれこっちが手助けすることもあるだろうさ」
「うん。わかった」
「さいわい、キューピーばあさんは一階で、火元から遠かったみたいだ。いのちに別状はなくて無事確保されたんだ。それだけでひとあんしんさ」
「でもキューピーさんは焼けちゃったんでしょう?」
「いや、それがだいじょうぶだったみたいなんだよ」
「えっ、ほんとに?」
「ああ、さっき、小耳に挟んだんだが、あのばあさん、人形を赤ん坊みたいに背中にくくりつけて、その上から掻巻を被ってたらしいんだ。いやあ、人形大事の一念だなあ。いやいや、たいしたもんだな」
「へー、ほんとにー? 鞠子さんも無事だったんだ。うそみたいだけど、よかったあ」
しばらくすると、マイクを通して火事の様子を説明する声が聞こえてきた。火元は二階の角部屋で、ほぼ全焼したが、どうやら鎮火したらしい。
野次馬はそれを聞いて気が済んだのか、三々五々解散していく。いささか疲れた面持ちの消防士たちもホースなどの用具を片付けながら引き揚げていく。
ひなは、何人かがかたまって進んでいくその横顔のなかに、知らず知らず、さっき助け起こしてくれたオレンジの消防士を探していた。背の高いひとだったが、見当たらない。
「さて、俺たちも引き揚げることにするか」
「うん、冷えちゃったね、ひなちゃん。だいじょうぶ? 足のほう」
「うん。帰ろう。きっと母が心配してるしね」
通りに出て車のほうへ向うと後ろから声をかけられた。
「あの、ひなさんてかたはどちらですか」
三人が振り返ると、あのオレンジの消防士が立っていた。そのひとが自分の名前を口にしていることに、ひなは驚く。
「おう、ひなちゃんはこの子だけど、どうかしたかい? ……おっと、あんたはさっき内藤のばあさんを助けてくれたひとだね」
「はい。そのときに内藤さんは人形を抱えておられたのですが、さっき自分を呼ぶひなさんの声が聞こえたから、病院でなくなったらこまるから、これをひなさんに預けておいてくれと頼まれました。こちらで対応したものから関係者のかただと報告を受けましたので、これをお渡ししておきます」
そう言って、オレンジの消防士はキューピー人形を差し出した。手袋をはずした手の指が長かった。
鞠子はちりめんの晴れ着を着ていた。公子はお正月が待ちきれなくて、着せていたのだろうか。あるいは火事とわかってからあわてて着せたのだろうか。
「……あ、ああ、ありがとう……ございました……あの、失礼ですけど……内藤さんにお知らせしたいので……お名前は?」
燻されたような鞠子さんを抱いて、ひなが訊く。
「あ、自分ですか? レスキュー隊の土門といいます。……ひなさんって、さっきここで転んでましたよね。だいじょうぶでしたか?」
土門がふっと白い歯を見せる。その瞬間、少年のような顔つきになる。ひなは困ってしまって、顔を伏せたまま頷き小さく答える。
「あ、あの、……その節はありがとうございました」
「ひなちゃんたら、膝小僧すりむいて、ココロが痛いんですって」
「あかねちゃん!」
「じゃ、失礼します」
土門は笑顔を残して、まだきびきびと去っていった。
「あいつがレスキューの土門か。優秀そうな奴だな。それにいいおとこだ」
「うん。和風の男前ね。めずらしく、ひなちゃんが名前、訊いたりなんかしてさー。土門さんのこと、気に入ったの?」
「えっ、あっ、そんな……」
「あ、だめだ。ひなちゃん、ぽーとしてる。一目ぼれだわ」
「ぽーっとなんかしてないもん。絶対、そんなことないもん。お世話になったひとの名前はちゃんと聞いておくもんだって母がいつもいうから、で、す!」と、ひながあわてて否定すると、ふたりは笑い出す。
「ひなちゃん、そんなムキにならなくてもいいよ。安心しな。あいつなら、あずさんも文句ないよ」
「おじさんまでそんなこと……」
「とうとう、ひなちゃんの思慕、炎上!」
「もうー、あかねちゃんのバカ! そんなんじゃないもん」
「ははは、わかったわかった。こういうことはなるようになるもんさ。さあて、もう日付がかわっちまってるよ。寒かったろう。俺も早く帰って一杯やりてえよ」
統三の運転する車は来た道を帰る。風がおさまっている。町は次第に灯を落とし、暗がりに沈んで少しずつ眠り始める。
「明日、鞠子さんを連れて病院に行くね」
「ああ、それがいい」
気がつくとざわざわとしていた気持ちが消えていた。土門の指にリングはあっただろうか。ひなはそんなことが気になっていた。
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