そんな日のアーカイブ 8 2003年の作家 島田雅彦
言い忘れたが会場の「よみうりホール」は、1100人収容できる大きなスペースで2階席もある。この「夏の文学学校」の聴衆は、時にお若い方や異国のかたもお見かけするがほどんどが中高年であり、ご婦人が多い。まあ、わたしもそのひとりである。
しかしながら、島田氏が講演する日は少々雰囲気を異にする。若いご婦人の姿が目に見えて増えているのである。ミーハーなファンというふうなお嬢ちゃまもいるが、どこか思いつめたような静かな情熱を身の内にこもらせている感じのするひとも多い。
1999年の講演のときは、島田氏が演壇に向かう途中から客席では続けさまにフラッシュがたかれた。文壇のアイドルなのであるなあと思ったことだった。
いや、まことにこのかたは美形なのである。東京外国語大学ロシア語学科在学中にデビューした島田氏は、セルゲイとかアレクセイとかいうロシア名前が似合いそうな風貌である。声はデーモン小暮に似ていなくもないのだが壇上で伏目勝ちに自分の指先を見つめたり会場の左右の隅に流し目のように視線を泳がせるさまには
男の色香とでもいいたくなるようなものがある。と、わたしは思う。
ただここまで男前だと、なんというか自意識のようなものが重たいだろうなと勝手な推測もしてしまうのであった。
このたびはフラッシュこそたかれなかったが、ひときわおおきな拍手に迎えられ前はなかった口ひげを蓄えた島田氏があらわれ「文学も流れる」-多摩川のトポロジー‐について少しばかり緊張したような照れたような面持ちで「ボクは東京郊外の住人で」、と話しはじめたのであった。
「用があって都心に出かけて行く時は多摩川を渡ります。川を越えて中心に向かって行くと、だんだん義務とか、仕事とか、役割とか、そういうものが身に付いて来る感じがあり、同様に、終わって帰る時に、だんだん郊外の家が近づいてくると、義務とか仕事とか属性を一個ずつ捨てて行く感じがするんです」
その行き帰りのおりにはいやでも「岡本かの子文学碑」が視野にはいる。シンクロナイズドスイミングの足のような、おどろおどろしいものと島田氏がいうそのモニュメントは「誇り」という岡本太郎の作品で、昭和37年、建築家丹下健三や地元の人々の協力を得て建てられたのだそうだ。
築山の上の歌碑には、
「としとしにわが悲しみの深くしていよよ華やぐいのちなりけり」
という歌が、かの子自筆で刻まれている。
かつて島田氏はその河原に出る人であった。氏の自我の成長が多摩川とむすびついている。当人にとっては原風景であり、切っても切れないものになっている。
「思春期のころよく河原で、なんとなく喜怒哀楽を処理したという感じがありました。良いことがあれば川に行くし、嫌なことがあると川に行く。しばらくたたずんでいると、気が楽になっている。川は日常生活の中でそういう機能を持っている感じがします」
思春期の振幅の激しい喜怒哀楽の混乱を誰かに楽にしてもらいたい、慰めてもらいたい、という思いだった。島田少年は河原で石をなげたり手足を意味なく動かしたりした。これは精神衛生上よいことである。単純作業が混乱を鎮める。いわば多摩川療法である。
岡本かの子も若き日の一時期を多摩川近くで過ごし、その時期の深い憂愁や、自分でもわけのわからない情熱のようなものにかられると、多摩川の河原へ行って気を鎮め、物思いにふけっていたという。
そんなふうに多摩川は自我の成長のステージであり、背景であった。そこは自分を見守ってくれる場所であり、神話的な趣をもちうるところでもあった。そこで何かに向かって祈る気持ちが生まれてきて、それぞれが自分の宗教を発明するのである。
「多摩川は誰をも歓迎します。恋人も、失業者も。川端は特に用がなくても行っていいんですよ。『無能のひと』のつげ義春さんが婦人用の自転車にのって多摩川べりを走っているのを何度も見ましたよ」
「無能のひと」の主人公は石に名前をつけて売る。それは河原の石一個でどれだけ遊んでいられるかという想像力の問題である。つまり、河原はおのが想像力を磨く試金石なのである。そういう営みを通じてひとは個人的宗教を発明する。その発明を川や森は促すのである。
多摩川は、「岸辺のアルバム」にみられるように、70年代に氾濫した。徹底的に都会化した場所の一筋の自然なのである。
「大きな川が近くにあるということはそれは首都圏に住んでいながら自然がある、ということです。台風が来れば水かさがぐっと増して、上流からいろんなものが流れてきて中州が消えたりとかします。都心にあって身近に自然の驚異とか感じられるような場所なのです」
そこでの経験からサバイバルの知恵も生まれるし、運命について思いをはせることもある。独特の想像力が働いて小説が生まれることもある。
そんな島田雅彦氏の新刊「美しい魂」が発売されるのだという。講演の最後に「売り切れないうちにお求めください」と少々(苦笑)という感じになりながら、PRされた。それを聞いて会場に漣のごとく広がった吐息に似たしずかな笑い声といちだんと大きな拍手に送られて島田氏は去っていったのであった。
まことに美しいひとであった。
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Wikipediaより
島田 雅彦(しまだ まさひこ、1961年3月13日 - )は、日本の小説家。法政大学国際文化学部教授、俳優。
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2003年7/28〜8/2まで、東京・有楽町よみうりホールで開かれた日本近代文学館主催の公開講座「第40回夏の文学教室」に参加し「『東京』をめぐる物語」というテーマで、18人の名高い講師の語りを聞きました。
関礼子・古井由吉・高橋源一郎
佐藤忠男・久世光彦・逢坂剛
半藤一利・今橋映子・島田雅彦
長部日出男・ねじめ正一・伊集院静
浅田次郎・堀江敏幸・藤田宣永
藤原伊織・川本三郎・荒川洋治
という豪華キャスト!であります。
そして17年が経つともはや鬼籍に入られたかたもおられ、懐かしさと寂しさが交錯します。
その会場での記憶をあたしなりのアーカイブとして残しておきます。