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そんな日のアーカイブ 5 2003年の作家 逢坂剛

リチャード・ドレイファスばりの体型を砂色のスーツに包んで現れた逢坂さんは「私と神保町」という演題で話された。

濃い飴色のやや太目の縁の眼鏡の奥のよく動く瞳を会場のあちこち満遍なく滑らせながら、さて、なにを話されたのだったろう。とてもとても面白くて、くすくす笑ったという記憶はあるのだが、なにがどのように面白かったのかと思い出そうとして、どうにもおぼつかなくて頭を捻っている。

高校時代に学校で逢坂さんの講演会があったという息子に、そのおりはどんな話だったかと聞いてみると「うーん、『第三志望の人生』とかいうんだったと思う」と答える。

おおー、息子よ、さすがだ。何年も前のことをよく覚えていたねえ。かあさんは二ヶ月前のこともうまく思い出せない。

そうそう、そういえばそうだった。なにしろ本が好きで神保町の古本街に入り浸って本を読み漁っているうちに、学校も就職も第三志望ののところへはいることとなってしまったが、その第三志望で入った学校も会社も神保町に近くて
とても幸いだったとのことだった。

中央大学卒で博報堂に入社することが第三志望というのもかあさんにはなんだか贅沢であるような気もするのだが。

なめらかな語りを聞きながら、ああ、これはプレゼンのうまさか、と思い、このかたのひとあたりのよさはプロフェッショナルな鍛えだのだ納得した。

サラリーマンと小説家の二束の草鞋を数年前まで履き続けてきたそうだ。辞めた理由のひとつに社屋の移転があり神保町を離れるのがいやだったからだというから筋金入りの神保町フリークである。

神保町のカレーがなかなかにおいしいのだと力説されていた記憶がある。なぜ神保町でカレーライスが好まれるかというと、買ってきた古本を読みながら片手で食べられるからだとか。なるほど、である。

息子が「そういえば、逢坂剛は、職業作家が食っていくのがいかにたいへんか、くわしく数字を挙げて言ってたよ」と言う。

たいへんだから二束の草鞋なんだろうなあ。
だからね、息子よ、それはたいへんなんですよ。

「作家には二種類あります」と逢坂さんは言った。「宮部みゆきとそれ以外の作家です」売れてる作家とそうでない作家の落差は、まことに大きいのだということですな。

「宮部みゆきはあんなに稼いでいるのに、車に乗らないんです。電車にのってます」

宮部さんは車酔いするかららしいが、あまりに儲かるとその使い道もこんなふうに詮索されてしまうのである。

応募から選に入って作家として歩み始めた逢坂氏であるが、長い間書き溜めていた千数百枚に及ぶ小説は「これはちょっと・・・、ほかはありませんか」とそれを読んだ編集者に難色を示されたのだという。

その千数百枚が日の目を見たのは、三人目の編集者との出会いだったそうだ。ただし、題名を直されたのだが。で、その小説が直木賞を取ることになるのだから人生はわからない。

そう、息子よ、人生はわからんものなんですよ。人生の設計図がどんなふうに変わっていくかなんて、だれにもわからないのだけれど、自分が好きなもの、自分が納得できる道ってのを
持っているのがしあわせなんじゃないかなあ。

とはいえ、かあさんは安心もしたいです。


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Wikipediaより

逢坂 剛(おうさか ごう、1943年11月1日[1] -)は、日本の小説家、推理作家。本名は中 浩正[2]。父は挿絵画家の中一弥[3]。東京都文京区生まれ[4]。

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2003年7/28〜8/2まで、東京・有楽町よみうりホールで開かれた日本近代文学館主催の公開講座「第40回夏の文学教室」に参加し「『東京』をめぐる物語」というテーマで、18人の名高い講師の語りを聞きました。

関礼子・古井由吉・高橋源一郎
佐藤忠男・久世光彦・逢坂剛
半藤一利・今橋映子・島田雅彦
長部日出男・ねじめ正一・伊集院静
浅田次郎・堀江敏幸・藤田宣永
藤原伊織・川本三郎・荒川洋治

という豪華キャスト!であります。

そして17年が経つともはや鬼籍に入られたかたもおられ、懐かしさと寂しさが交錯します。

その会場での記憶をあたしなりのアーカイブとして残しておきます。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️