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ざつぼくりん 44「よわむしⅣ」
ふたごが幼稚園に入って間がないころだったかなあ、連休に華ちゃんがふたりを連れてうちへあそびにくるっていうから、散歩がてらに遊歩道まで迎えにいったんだ。そしたら、向こうからきたしかめ面の多樹ちゃんが、立ち止まりもしないで、俺の手を掴んでそのままぐんぐん歩き出すんだ。振り返ると沙樹ちゃんも志津の手を取って、後をついてきていた。風の強い日で、ふたごのくせ毛がふわふわと踊っていた。
「おいおい、多樹ちゃん、そんなに急がんでくれ……こうじぃは息がきれるよ」
そんな自分を、これはどうしたことか、とも思ってたけど、実際、苦しかった。くやしいけど、あのころから体の不調が誤魔化せなくなってきてた。まいっちまうな。
「ごめんなさい、こうじぃ。でもねえ、たきちゃんはねえ、もうじぇったいにおうちにかえんないの」
立ち止まった多樹ちゃんはどこで覚えたのか、仁王立ちになって腕組みしてそう言った。頬はピンクに上気し、口元は絵に描いたようにへの字だった。
「さきちゃんもー」
沙樹ちゃんもまねっこして腕組みをした。こっちはほっぺを大きく膨らませている。吹き抜ける風に立ち向かうように、くせっ毛なびかせて腕組みをするふたりの姿はなんともかわいいが、真剣になればなるほど滑稽にも見えたな。こみ上げてくる笑みをかみ殺し、息を整えて、俺はその顛末をきいたさ。
そしたらふたりは同時に答えた。
「こうじぃのところのこどもになるのー」
「ほうー、そりゃあおだやかじゃないね。……さては、かあさんに叱られたな?」
「うううん。かあさんになんか叱られてないもん」
「じぇんじぇん、ないもん」
「じゃ、とうさんかい?」
ふたりは顔を見合わせてからしぶしぶ頷いた。意識してなくてもふたり同じ動きをする。
「とうさん、こわいかい?」
「たきちゃん、こわくなんかないもん」
「さきちゃんもこわくないけど……」
「けど、なんだい?」
「こわくはないけど、だめーって何回もいうからいやなの」
「そう、いやなの」
「そうかあ、とうさんはだめって何回もいうのかあ」
事の起こりが何なのかはさっぱりわからないが、小さなレジスタンスなんだろうなあ。こんなに小さくてもいっちょまえだもんな、時ちゃんもたいへんさ、なんて思ったもんさ。しばらく間を置いてから俺は口を開いた。
「あのな、きっととうさんはふたりのことが心配なんだよ……そうさなあ。ふたりにちゃんとしたおんなのこになってもらいたいてえんだよ」
「でも、とうさん、とってもうるさいの」
「そう、うるさいうるさいの」
それを聞いて、それまで黙っていた華ちゃんが笑いながら言葉をはさんだ。
「ふふ、時生さんは、ときどきものすごく分別くさくなるって絹子さんが言ってた。のべつ幕なしに、あれしちゃだめ、これしちゃだめっていってるみたい」
まあこれまでの時ちゃんを知ってるから、さもあらんとは思うが、ふたごが幼稚園にはいってから、拍車がかかったらしい。集団生活で守るべきこと、なんてのをあれこれ細かく注意してたんだろうな。なにしろ養護学校の先生だからさ。
「そうか……じゃあすきなだけこうじぃのとこにいればいいさ」
「どうしていいの?」
「どうしてだめっていわないの?」
「はは、こうじぃもしずばあもふたりのことがだいすきだから、……ずっといっしょにいられたらそりゃあ、うれしいからさ」
「ほんとう?」
「ほんとうにいいの?」
そう言って、ふたりは俺たちのそばに来て手を繋いだ。
「ああ、こうじぃがうそついたことあったか?」
「なーい」
「じぇんじぇんなーい」
ふたりはうれしそうに繋いだ手を前後に揺らした。実はね、と華ちゃんが言うには、ふたりは傘が大好きで、ここのところ、今日のような風の強い日に、傘を持ったまま近所の石垣に登っては、傘を広げてそこからひょいっと飛び降りて遊んでるらしい。
「あのね、それはね、メアリー・ポピンズごっこっていうの」
「メアリー・ポピンズみたいに傘でお空を飛ぶの」
なんてふたりは得意げに言うんだよ。なんでも、石垣から飛び降りる瞬間に、強い風がふくと、ふわっと飛べるような感じがして、それがたまらなく痛快なことらしかった。いずれ多樹ちゃんのおもいつきだろうが、なかなか面白そうだ。しかし、時ちゃんが案じるのもわからなくもない。
「ああ、わかったぞ……とうさんにそれをしちゃあいけないって言われたんだな?」
ふたりはまた顔を見合わせて頷いた。
「かあさんはどういってるんだい?」
「ちゃんととばないと、けがするよっていってる」
「じめんに、あしのうらをちゃんとつけるのよって」
「それで、ふたりはちゃんとそうできるのかい? けがしたことないのかい?」
ふたりはゆっくり首を横にふった。きまりの悪そうな顔をしていた。
「あしのうらじゃなくて、ひざこぞうがさきにじめんについたの」
「おしりがついたこともあったの」
「痛かったかい?」
「ちょっとだけ、いたかった」
「血が出たときはすごくいたかった」
「泣いたかい?」
「うん。すごくないて、とうさんにしかられた」
「すごくとうさんにしかられた」
今度は俺が腕組みをして思案するポーズをした。
「……あのな、こうじぃが思うに、きっととうさんはよわむしで……たきちゃんとさきちゃんが怪我して泣く顔を見るのが……こわいんだろうよ」
「うちのとうさんがよわむしなの?」
「泣く顔がこわいの?」
「ああ、そうさ、ふたりのことを考えると……とうさんはよわむしになるのさ。ふたりが怪我したら……自分が怪我したときよりも……こころが痛くなるんだよ」
「こころがいたいの?」
「とうさんの?」
「ああ、そうさ。とうさんていうのは……そういうもんなんだぜ。……よわむしでちょっとかわいそうなもんなんだ」
「かわいそうなの?」
「うちのとうさんが?」
「ああ。……でもよわむしだっておもわれるのがはずかしいから、……ちょっとばっかり、えばってみせてるだけなんだよ」
そう言って志津の方を見ると、かすかにわらってやがった。
「ふーん」と多樹ちゃんは答えてまた腕組みをした。
しばらくそうしていたかとおもうと、沙樹ちゃんの耳元でなにかささやいた。
「えっ?」という顔になった沙樹ちゃんは眉根を寄せて神妙な顔つきになった。それから多樹ちゃんの耳元にささやきかえした。そのあともふたりはうなづいたり首を振ったりして相談していた。しばらくして二人は声を合わせていった。
「とうさんがかわいそうだから、とうさんのこどもでいてあげることにする」
それを聞いて俺はさびしげな顔を作ってみせた。いや、実際そんな気持ちだったな。
「そうか、残念だなあ。たきちゃんはこうじぃんちの子になってくれるのかと思ったよ」
「ごめんね、こうじぃ」
多樹ちゃんはそういうと俺の脚に抱きついてきた。ちからを込めた抱き方だった。それだけで十分さ。しばらくそうしていたかと思うと、ぱっと顔をあげて言った。
「でもこうじぃは、よわむしじゃないからだいじょうぶでしょう?」
ああ、俺はゆっくり頷いたさ。ああ、そういうもんさ。
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