そんな日の東京アーカイブ 三鷹
三鷹の森ジブリ美術館へいきました。JR三鷹駅南口から玉川上水沿いの「風の散歩道」をゆっくり歩いて約15分です。
その道はなかなかに心地よく、白梅紅梅が咲き
木々の芽が膨らみ始めて、だんだんに空がけぶってくるようでした。大きな鯉が泳ぎ、水鳥も見られました。
遠近法のお手本の絵画のように、並木や上水が一点に消失していく構図はなんだかしみじみとしてしまいます。どこか自分の行く末を見ているような、そんな感じがして。
美術館は凝ったしつらえの建物でなんというか、ジブリの文化祭!という感じ。絵コンテやセル画、色指定、撮影手順などを見ると、アニメって気が遠くなるほどの分業の世界なのだと思い知らされます。
書斎風のセットにたくさんの本が無造作に並んでいました。資料となるものでしょうが、とても多岐にわたっていて、デッサンの本やレオナルドダヴィンチの本のほかに司馬遼太郎さんや幸田文さんの本とか文学全集もありました。ひとを描くのですから、といわれたような気がしました。
喫煙所のそばに井戸のくみ上げポンプがありました。これが人気あるんですね。大人も子どももみんなそのポンプ押すんです。力こめて。で、水がでるとうれしそうなんです。
大人にとっては郷愁なのかもしれませんが、生まれてからずっと、蛇口をひねればいつでも水が出てくる生活をあたりまえとして送っている子ども、あるいは青年にとって、それはなんとも新鮮な出会いなのだろうなあと思ったのでした。
ただそこにあるポンプ。そこにはトトロもナウシカもいません。押せば水が出る、ただそれだけのポンプ。幼子が去りがたくその押し手を握りしめます。少年は飽かず押し続けます。ポンプから出た水はブリキのバケツに落ちていきます。どどっ、どどっ。その音がなんとも耳にここちよいこと。
こしらえごとはこしらえごとでしかなく、そのお約束のもとで、楽しんでいるのだけれど、こしらえごとのむこうにあるたしかなものが、そのポンプにあったのでした。
言葉でなく、そんなふうになにげなくおかれたポンプが、暮らしの実感のようなものを語りかけているのだと思ったのでした。