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寺本さん

ミクシィの時代があった。
たくさんの見も知らぬかたがたとお知り合いになった。
時が流れ、世がうつり
通り過ぎてしまった方々も少なくないが
今もFBやTwitterで繋がっているかたもおられる。

北のほうのかた、南のほうのかた
お若いかた、そうでもないかた
思いがけずご近所だったかたや
長く付き合いたく思うかた
高校の後輩や素敵なピアニストさん

ご近所だったかたには、その後も
イベントにお誘いいただいてたし
ピアニストさんは個展にきてくださったし
南のかたと京都でお会いできた。

そして先日うかがった、
浅川マキを観るのトークショーに出ておられた
寺本さんもまたその時代にお知り合いになったかただ。

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このかたの来歴を後から知って驚くのだが
最初は書かれる文章がとても素敵で
もうもう更新が楽しみで…
言ってみればこちらは一方的な文章ファンだった。

それがどういう経緯だったか
あたしの作文を読んでもらうことになって
お会いして、アドバイスをいただいた。

「袋作るのもいいけどさ
もっとヒリヒリするもの、書いてよ」

寺本さんのそんな言葉が記憶にある。

その後、あたしは文袋で、ヒリヒリしたものも書けず
ミクシィは遠いものとなり、
時に賀状交換するくらいとなったのだが
今年の賀状に、京大の西部講堂のイベントにでるから
よかったら来て、とあった。

懐かしくてうかがった。
中座するつもりだったので
とりあえずうかかったことを知らせておこうと
トークショー終わりの寺本さんに
座席の暗がりからご挨拶をした。

翌日、寺本さんから、
話したかったけど、あのあと探してもいなかったから
よかったら会おうよ、とメッセージがあった。

81歳の寺本さんは抜けの良い声で
ご自身のあれこれや
とても深い事柄を元気よく話された。

「たのしいことしかしてこなかった」
「自分の中に作家の目がある」

ヒリヒリの大切さや
なにごとも受け入れたのしむこと。

作家の目を持つことの凄みを感じた。

帰りに文袋のクラッチを差し上げると
ボタンの位置が1センチ左にズレてる。
揺るがせにできないから言うが
こういうことは集中力の問題だからね、
というメッセージが来た。
ありかたく受け取った。

京都という町での時間軸は
気が遠くなるようなとこがあり
自分のいる今、此処というのが
なかなか実感できなかったりするが
自分自身の時間は
どうあれここに繋がっているのだと
感じることができたりした日だった。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️