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京都で会ったひとたちのこと 4

自己紹介をした。みな結婚しているので、苗字が変わっている。ありふれた名前、田中とか山田とか山本(ふたりもいた)だとかになった人もいれば、一族だけしかいないというレアな苗字のひともいた。

飾ることなく、卑下することもなく、ちょっと苦笑交じりに語られるそれぞれの言葉を、語られたことと語られないことを計りながら聞いた。

人生はいいことばかりではない、と知ってみればなんとなくわかってしまうこともある。生きてきた時間、世間で教えてもらったことだ。

クラスが名簿順に前半と後半に分けられて、そのグループ分けで必修科目が組まれていたので、アカサタ行で始まる苗字のひとの記憶が薄い。しかし、今となっては、ナハマヤラワ行のひとの記憶もそう濃くはない。

まずあたしが自分を語る。こういう時にはどうも舞い上がってしまうようで、振り返ると自分がなに言ってたかまるっきり覚えていない。それでも、頬のことだけは言った記憶がある。いつものように、まずそうやって荷物を下ろす。9人に何度も同じことを聞かれてもたまらない。

次はひろみさんが語った。ひろみさんとは同じ中学で教育実習をしたなあということをふいに思い出す。当時京都出身の学生は母校ではなく割り当てられた学校で実習した。真面目な顔していっしょに英語の先生の真似事をしていたのだと思うとなんだか可笑しくなる。

今は大阪で自営業をしていて、子どもはふたりと語る声が、昔と変わらない。ちょっと甘えん坊のようなゆっくりとしたしゃべり方。風貌は否応なしに時間に侵食されるが、声はそうでもないのだと気づく。

その声が今は痴呆が始まった姑の介護で大変なのだ告げる。今日はデイケアに行ってもらっているという。そういう年回りなのだ。子どもの手が離れれば年寄りが待っている。
 
カズヨさんは地方出身だが、今は京都に住んでいる。旧姓がアカサタ行のひとなので、当時の姿が思い浮かばない。はみ出す部分が多くないひと、というイメージがした。

せつこさんは当時もなんだか例外的にバイタリティのあるひとだったという記憶がある。だから当時の私はこのひとと距離を取っていたのかもしれないなとも思う。今も好奇心は衰えずくるくるとよく動く大きな眸がいろんなことを面白がっているようにも見えた。

イギリスにホームステイをしたこともあって、今でも海外へはよく行き小グループのガイドを引き受けてもいるのだという。英語を生かしているのはこのひとくらいかな?と思う。

マツノさんは小柄なひとだったが、28年間で10キロ太ったのだという。ふっくらした顔に昔とかわらないような眼鏡をかけている。昔も今も大阪在住で「~しやんねん」という言葉を何度も口にした。子どもは三人と言っていたかな。

スズヨちゃんは奈良だ。そこいらを鹿が歩いているようなところなのだという。いつもふふふと笑っているような感じのひとだったが、なんとなく性格が丸くなったようにも感じられる。

まったりとおだやかなミツコさんは佐賀県のお寺に嫁いだ。二年前には自分も得度して住職になったのだそうだ。娘さんふたりのうち下のひとが後輩になったそうで、母校にはなんどか来ているのだという。

富山から来たマユミちゃんは当時もモデルさんのようにきれいでスマートだったが、三人子どもを生んだというのに、まったく変わっていない。声が小さいことも変わっていないし、ときどきピントが会わない会話も変わっていない。

ワンタンもまったく変わっていない。容姿も声もかわいいひとだなあと思う。東京在住で、私は時々会っているのだが、この人のところだけ時間がながれなかったんじゃないの?というくらい昔のままなのだ。それでもワンタンのこころの配りかたはやはり大人だと思う。誰かの言葉のほころびをやさしく丁寧に縫い合わせるようなフォローが実に自然に身についているひとだ。

今はさっちゃんとは4年間べったりいっしょにいたような気がする。それはそれでよかったのかもしれないけれど、べつな時間もあってもよかったのではないかと思っていたりもする。息子ふたりと実に仲良く暮らしている。よく通る声でそんなふうなことを言った。

さっちゃんが自分の体形の話で自虐的に笑いを取るころにはすうーとみんなの距離が縮まっているような気がした。

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bunbukuro(ぶんぶくろ)
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