浅黄に萌黄。双子姉妹のような社名。これは色の名前だ。
調べてみると、浅黄はブルー系の浅葱とはちがうのだと知る。
浅黄(うすき)は、苅安草と灰汁で浅く染めたうすい黄色のことです。平安時代の格式『延喜式 えんぎしき』にも記された古い色名で、『深黄色 ふかききいろ』の対色。古い呼び名は「あさぎ」、別に「あさきき」「あさき」とも読まれます。
古くから浅い藍色の『浅葱色 あさぎいろ』と混同された色で、平安後期の歴史物語『今鏡 いまかがみ』にも「あさぎと日記に侍 はべなるをば『青き色か、黄なる色か』などおぼつかなてく、」と書かれています。
近世になっても「浅黄」と書いて『浅葱色』を指すことが多く、江戸時代では『浅葱色』との混同を避けるため、うすい黄色には『薄玉子 うすたまご』と呼んで区別しました。また、混同を避けるために「うすき」の読みが定着したのでしょう。
これは初めて知った。新撰組の羽織の色かと思っていた。
対をなす萌黄はこの色。
こんな説明がある。
萌黄色(もえぎいろ)とは、春先に萌え出る若葉のようなさえた黄緑色のことです。平安時代から用いられた伝統ある色名で、別に『萌木』とも表記します。
新緑の若木の色ということから若さを象徴する色であり、平安時代では若者向けの色として愛好されました。『平家物語』では十八歳の平家の貴公子“平敦盛”が萌黄縅 もえぎおぞしの鎧を着ていたり、二十歳の弓の名手“那須与一”が萌黄匂 もえぎにおいの鎧を着ているなど、萌黄色が若武者の象徴として使われています。
このいろも萌葱色とは違うそうだ。萌葱は歌舞伎の定式幕にある深い緑なんだとか。
日本の色の名前は奥深く、そしてなんとも優美であり、想像をかきたてるものが多い。
色が初めにあり、名が色を追いかけている。付けたひとの比喩感覚が楽しめる。嗚呼、その名をえらんだのか、と。
極東の島に辿り着いた文化をなにもかもを包み込み飲み込む風でありながら、それを独自の視点で見つめて塩梅してわがものとしてきたこの国だが、色の名前の豊かさに触れるたびに、和の文化の底力を感じる。
一枚の看板、その、社名が連れていってくれる世界を楽しんだ。
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️