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尻を叩く
「あなただから言うけど、世界中のひとがわたしのことを嫌いになったんじゃないかしらって思ってたの」
Mさんが受話器の向こう側でおもいがけない言葉を口にした。
朝からなんとなく心がさわいで、しきりと彼女に電話しなくては、という思いがわいていたのは、これだったのかとこっそり納得する。
三期の乳がんと戦い、生還してきた彼女が、やっと抗がん剤の投与が終わった今になって、生きくれている。
生きるか死ぬかの戦いの最中はものごとは実にシンプルにクリアに見え、あらゆる決断を、迷うことなく、大きくたがうこともなく、即座に下すことができた。
そうしなければ、とうてい生き延びられなかった、とも言える。
しかし、「さあ、もう普通でいいのよ」と言われてみると、日々は心もとなく不安にまみれる。
この世の中に自分のポジションはないのではないかと思えて来る。
生きている。でも、以前のようには生きられない。少なからずなくしたものがある。
胸をはってドアを開けていくには、やはり勇気が必要だ。
こころが引いていく。
人と肩を並べて同じ道を歩くことができるだろうか。そんなことはできそうにないように思えてきて、「わたしはいいわ」とお断りの文句ばかりが口にのぼる。
周囲は思いやりでそっとしておこうと思っているのかもしれないのに、だんだんと自分は忘れられていくのではないかという疑問がこころを巡る。
きっと、みんなわたしのこと、嫌いになったんだわ、こんなわたしだから・・・。
そんなふうに加速して急降下していく思いは彼女だけのものではない。わたしにも経験があるし、多くのガン患者、大病をしたひとの思いにすくなからず芽生えてしまうものだ。
Mさんは生きることのひとつひとつをごまかさずに、睨みすえて踏みしだいて力強く生きてきたひとだから、その落差が胸を衝く。
彼女の震え始めた声が耳に届き、こちらも同じ気分になる。
それでも言ってみる。
「あたしがそうなってたとき、あなたは、なにいってんのよ!ってお尻を叩いたわよ。今度はわたしが叩く番ね」
「あら、そんなことはいいのよ」と彼女が答え、すこしの沈黙の後「でも、わたし、パフェが食べたいの。明日付き合って」と早口で言った。
「わかった、おしり叩きにいくわ」と答えると、いつにない小さな声が返ってきた。
「ありがとう」と聞こえた。
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