ちぢむ
人生の先輩、千鶴子さんを見ながら、老いを想像していた。時を経て、自分も追いかけてくる衰えのなかで老いを自覚するようになる。なってみなければわからないことだが、千鶴子さんの老いはなんだか天晴れだったと思う。
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形成の手術を終え退院してきた千鶴子さんと会った。会って、驚いた。千鶴子さんが縮んでいた。
入院するまえに比べると4センチ、若いころと比べると12センチも縮んだのだという。千鶴子さんの身長はもう私の肩までもない。
今見ている世界から12センチ視野が降りることを想像してみると、それは容易なことではない。
誰しも長年自分の身の丈にあった暮らしをしてきているわけで、それが老いとともに縮小していく。手をのばして届く範囲が狭り、それまで見えていたものが見えなくなる。
老いは死への道案内だから、身のうちの勢いが衰えていくのも自然なことであり、そんなふうにして死ぬことを少しずつ受け入れていくのだと、頭ではわかっているのだけれど、久しぶりに会う千鶴子さんが、とてもとても小さくなってしまって、わたしはとてもこころもとない気持ちになった。
それでも今月末には個人誌「藻乃露於具」(ものろおぐ)の第2号を出すのだという。たったひとりで一冊分のエッセイを書いてしまうのだからやっぱりすごい。
じたばたしてもしょうがないのかもしれない。ちぢんだらちぢんだように、12センチ下がったあたらしい視野を楽しむのがいいのかもしれない。
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