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縁切り

会社に老害がいる。都内にある大手企業に勤める入社三年目の相島康太の精神は、もう限界に来ていた。定年後も居座り続ける役員の江口和夫に何故か目をつけられてしまってから一年。叱咤激励という名の罵声を浴びせられることから始まり、幾度も繰り返される過去の栄光話を酒の席で聞かされて一日が終わる毎日。おかげで体重は2キロ落ち、若白髪が一気に増えた。江口のパワハラを訴えた社員は権力のもとに返り討ちに遭い、みな姿を消した。次は相島康太の番だ。みなそう囁いている。

そんな中、SNSでバズっている都市伝説が、相島康太のスマホにも流れてくる。
雲一つない青空。なのにそこだけは、いつも影。四方を高層ビルに囲まれた小さな小さなお社は、光も音も、全てを遮断する。そこに「縁切り」のお稲荷さんがちょこんと鎮座している。らしい。

大きな力にはもっと大きな力を……相島康太には、もう、神様しかいなかった。

その日は雨だった。相島康太はSNSの情報を頼りにその場所にやってくる。箱庭のような境内に足を踏み入れた瞬間、たちまちに雨は降り止み、呼吸さえも止まってしまったかのような静けさに包まれた。
「ここはいつも開かれている訳ではない」
いつの間にか、社の前に小さな巫女が座っている。
「どうして開かれたのですか…?」
相島康太がおずおずと尋ねると、
「そういう気分になったからじゃ」
と巫女は笑う。SNSで見た。お稲荷さんはとっても気分屋で、二丁目のママくらい好き嫌いがハッキリしている、と。
「ではあなたがお稲荷さん…?」
スッと、巫女が相島康太の眼前に顔を寄せる。相島康太の身体は何故か硬直して一ミリも動かすことができない。
「面白がらせてくれるか?」
「はい?」
「ずっと面白がせてくれるか?」
「……はい!」
訳が分からぬまま返事をすると、そこにはもう巫女の姿はなく、気づけばしとしとと雨が降っていた。

翌日。相島康太が出社すると、何やらフロアが騒ついている。同僚に話を聞くと、なんと今月いっぱいであの江口和夫が退職することに決まったそう。早速お稲荷さんが叶えてくれた!その日、相島康太は久々にひとり、うまい酒を飲んだ。

帰り道、相島康太に肩をぶつけてきた酔っぱらいがいた。相島康太がひと睨みすると、まるで操られているかのごとく踵を返し、機械的な足取りで闇に消えていく。
「縁切り」の効力は続いている……。SNSでいつもウザいリプをしてくるA。マウントを取ってくる友人。着信履歴が何十件にも上るメンヘラ彼女。下手な歌とギターをかき鳴らす隣の住人。近所のスーパーの、レジ打ちが遅いオバハン店員。道端で唾を吐いてるオヤジ……俺にストレスを与えるやつは全て、「縁切り」だ!
味をしめた相島康太は、お稲荷さんを力を思う存分使うのだった。

それから一ヶ月後。
相島康太は、六帖一間の殺風景な部屋にポツネンと佇む。実は後ろ盾をしてくれていた江口和夫がいなくなったことで、相島康太は出世ルートから外され、明日から地方支社へ異動となる。にもかかわらず、相島康太を気にかけるものは誰もいない。それもそのはず、上司も同僚も、友人も恋人も、近所やネット上で接する人々も、みんなみんな「縁切り」してしまったのだから。

まるで空気のような存在。意図せず、自ら社会と断絶してしまった相島康太は、ふらふらと、街を彷徨う。
そしてたどり着いた、例のお社。
「これがお前が望んだことであろう?」
にこりと微笑む巫女に、相島康太は
「こんなことじゃなかったんだ」
とひとりごつ。
「ワシはお前との約束を果たした。なのにどうじゃ?お前はワシを何一つ面白がせてくれぬではないか」
「面白がらせるって、どうやって……?」
「世界は変わった。なのにお前は何にも変わらぬ」
相島康太はへなへなと、お稲荷さんの足に縋って嘆く。
「戻してくれよ……元の世界に戻してくれよ……」
スッと、巫女の顔に翳りがさす。
「あ〜つまらん。もう終いじゃ」

パン。

ひとつ、お稲荷さんが手を叩くと、相島康太はこの世から縁を切られてしまいましたとさ。

#2000字のホラー

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