「雨戸(あまど)」 建築小話
雨戸開け 一日始まる 書生の暮らし (3)
雨戸開けは、たしかに重労働だったし、今日みたいな寒い日、雪の降った日などは、とにかく、寒い!!! もう今日は締めたままで…と思いつつ、雨戸を開けてみると、雪国生まれの私には懐かしい、あの真っ白な世界と、ひんやり凛とした空気が飛び込んできて、そんな瞬間に、大変なんだけどやってみないと味わえないことがあるなぁって、感動してました。
そもそも、「雨戸」という名前が文献にでてくるのは、豊臣秀吉の時代らしいんだけど、実際の建築として古いのは、江戸時代の初め、二条城二の丸御殿大広間とか黒書院に使われたものらしい。庶民に普及していくのは、その後。
知らない方のために一応解説を。
雨戸は、風雨を遮り、盗難を防ぎ、保温の意味ももっている木製建具で、縁側等、開口部の最も外側に設置されるもののこと。明治時代までは、今のようなガラス戸はなく、障子か開けっ放しかだったため、こうした引き戸のような戸が一番外側にあり、上の一筋鴨居と下の敷居の間に必要な枚数の板戸をいれ、びっちりと詰めて家屋を守ることとなります。ポイントはレールとなる溝が一本のみ。なので、最も端に「戸袋」というすべての雨戸を収納する場所があって、そこから雨戸を順々に繰り出し、送っていって、びっちり詰めていく。そして最後は、そのうちの一枚に仕込まれた「猿(さる)」という名の木でつくられたフランス落としみたいな栓を占めると、一本レールのためどこからも開かなくなってしまう、という建具。
開けるときは、この「猿」をはずして、次々と戸袋の方へ送っていって収納する。
ちなみに、「猿」という鍵のようなものの名の由来は、猿はものを取ると決して離さない、というところからきているそう。日本人のこういうネーミングのセンスって、なかなかおもしろい!
それに、結構頑丈。そんな建具も鍵もを木を組み合わせるだけで、つくっていたなんて、やっぱり日本人ってすごい!
今は、アルミサッシから樹脂製サッシへ。雨戸から、アルミ製雨戸、シャッター、今は雨戸のない住宅も増え、窓も小さくなって断熱気密の時代。
先生は、断熱気密が大嫌い!笑
雨戸を開け締めして、自然を感じて生きること、窓を大きく開けて、外とつながって生きる感覚を持つことが大切、といつもおっしゃっておられました。
先生のお宅の縁側は、たしか9枚。当然だけれど、全部同じ寸法のもの。
慣れてくると、一枚一枚やるというより2枚か3枚まとめて送って開けてたかも。先生がいらっしゃると、朝開けて下さっていて、雨戸を開ける音は、だいたい響くので、あっ!先生開けて下さってる!ごめんなさい、起きられません…と心で謝りながら、寝ていたこともあったなぁ。
そういえば、東京帝国大学でお雇い教授を務めた、かのエドワード・S・モース氏は、「日本家屋のうち、騒音を出すという点に特色がある。」さながら「目覚ましのベル」と記していたそうだ。
本来「雨戸開け」は書生のしごとなんだけど、まさに目覚ましだったかも。
モノが人をつなげていく、モノが人とのつながりをつくっていく、懐かしい住まいはそんな楽しみを与えてくれる気がします。(NAN)