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「床座(ユカザ)」の暮らし

やっとの思い 選び抜く 年賀状傑作選 (5)

先生の日記は版画です。
どうやら、先生のお正月は、年賀状刷りに勤しんでおられたようでした。
こうした作業も畳の上。刷り上がった年賀状を広げ、刷っては、広げる。

現在の豊島区鈴木信太郎記念館の書斎は、信太郎先生の机が、書斎中央に置かれています。しかし、成文先生は、書斎に畳を敷いて大きな座卓をおき、床に座って、書斎を使われていました。
そもそも日本文化は、床に座る「床座」の文化。しかし、戦後は、一般市民の生活の中にもどんどん椅子に座る文化「イス座」が浸透、今やこの「イス座」が主流。
居酒屋でも掘りごたつ、料亭も旅館でも、どんどん「イス座」が浸透中です。
しかし、先生は、「床座」や「畳」の上での暮らしを大切にされていました。
こだわりのない先生、2階のダイニングやパソコン部屋は「イス座」なのですが、1階はほぼ「床座」。どちらも味わっておられたのでしょうが、書生からみると、こちらの方がしっくり先生らしく、落ち着いて仕事をされておられたと感じます。
ここに畳があったのは、戦後、ここで暮らしていた際の名残だったとおききしています。戦火をくぐり抜けて残った書斎。一部、建て増しをしながら、ここで暮らしていた日々があるのだ、と。

書生の私は、設計事務所に入りたて。帰りはほぼ終電。遅いと、ほぼ午前1時頃。でも、だいたい先生は書斎に起きておられます。そして、傍らには、夜のお供に、お酒。たまに11時ぐらいに帰れた日は、「どうですか、一緒に一杯やりますか。」といって、書斎の机に相向かいに座り、ちびりちびりと日本酒をのみながら、最近やっている仕事のこと、先生の研究のことなど、いろいろと話しをし、気がつくとやっぱり午前1時すぎ。それでも、そんな時間が何とも楽しい思い出です。
「床座」での仕事は、私も好きで、ときどきやります。
自分の周りに、必要となる資料や書籍、書きかけのもの等々を、ちりばめておけるので、頭の整理や何かをまとめるときには、とてもよいのです。実は、卒業論文や卒業制作も、私は床座でこなしていました。笑
「モノをひろげて使い、使い終わるとしまう」これは日本の暮らしの一つの知恵。
限られた空間を、幾通りもに使うための工夫だったのでしょう。それに、平面的にひろげるというのも、日本らしい気がしています。

書斎は畳敷き、そこで仕事をする先生

食事をする茶の間も、掘りごたつ式ですが、畳の間です。台所でつくったものを、お盆にのせて茶の間まで運び、食事をして、また、台所まで運んで後片付け。
堀りごたつ式ですが、床座の視線は、妙に落ち着きます。この茶の間での食事は、日曜、祝日、私の仕事が休みで家にいる昼食、夕食は、だいたいここで。なので、食後、一時間以上はいろんな話をしていた時間も、思い出に残っています。
ちなみに、先生は、60歳あたりで舌がんを患われていて、食事を召し上がるのがとてもゆっくり。そのため、食事とおしゃべりで、だいたい2時間ぐらい過ごしていたかも。まるで、ヨーロッパのように。

そして、先生のお宅では、ときどき、研究仲間や教え子、卒業生が集まって、宴会をします。当然ですが、その時も座卓。椅子がないので、人数は何人でも可能。
大勢のときは、ふすまをはずし、広げます。そして、座卓と座布団、数々の食器。あとは、野となれ山となれ。宴会ももりあがってくると、先生は、おちょこ片手にあちこちへ移動し、みんなとお酒を酌み交わし、近況を語り合います。

そんな感じで、住居学の大家といわれると、几帳面そうで大変そうな感じですが、いたって緩い、おだやかさが漂う暮らしでもありました。
ということで、OMAさん、先生は、なんとO型です!!!

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