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書生とは?

「平成の書生」ものがたり

私たちは、現「鈴木信太郎記念館」、当時の鈴木成文先生のお宅で「書生」として住まわせて頂いた経験があり、私は4代目、国籍を問わず8代いるのです!
「書生」って? 昔のことではないの?
「書生」と検索してみると、こんなふうにかかれています。

明治・大正時代には学生の別名として用いられ、政治家や学者などの家に寄食して家事を手伝うかたわら勉学にいそしむ者

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)より

1992年、最愛の奥様を亡くされて、お子様もいらっしゃらず、一人暮らしに。
そこで、東京大学工学部建築学科に在籍する留学生の経済的な支援と、日本の暮らしや文化を知ってほしい、との思いから始められた、それが、書生のはじまり。

その後、先生は70歳を過ぎ、学長となられて、暮らしも少し大変になってきた頃、3代目の方が出られることに。そろそろ日本人でもよいかと思っていたところに、研究室最後の院生だった私が、東京の設計事務所に就職することとなりました。
「よかったら、うちに住みませんか?」と、お声をかけて頂き、日本人初の4代目書生になったという経緯。
多分、いきさつは一人ひとり違うのですが、いずれも留学生(その家族)だったり、地方出身者だったり、東京在住者でないことは共通してるかも。
私の場合は、就職といっても、設計事務所の一年目は見習いみたいなものなので、当時(といっても平成ですが)とにかく薄給が当たり前。地方出身者がアトリエ系設計事務所で働くのは、なかなか大変だったんので、本当にありがたかったなぁ。(NAN)



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